2012年8月25日土曜日

大人の社会見学 (アサヒビール吹田工場編)

2012年8月某日、京都方面での折からの豪雨で乱れまくったJRのダイヤに翻弄されつつ、我々はJR吹田駅にいた。
 線路の向こうには広大な敷地と工場施設、そして目を射貫くような青い看板に白抜きで「Asahi」の文字。
 そう、今回の目的は、アサヒビール・吹田工場の工場見学である。
 アサヒビールと言えば、ビール史のエポックメイキングとなり、今もビールのシェアNo.1である「アサヒスーパードライ」である。
 そして、スーパードライと言えば、当初のCMで起用されていた、国際ジャーナリスト・落合信彦(ノビー)である。
 前日、私はアサヒビールそっちのけでノビーについて熱く語った。
・大学の時、ぽっちゃりした女の先輩が『これ読んでんねん』と見せてくれたのが、ノビーの『「豚」の人生、「人間」の人生』で、思わず顔が引きつった。
・得意の空手の前蹴りで、ブルース・リーを5秒で倒した(自称or2ちゃんねる情報)。
・イスラエルの諜報機関・モサドのエージェントと国際電話をしており、かつて、月の電話代が200万円かかっていた(自称or2ちゃんねる情報)。
・ブックオフでは、ノビーの『「まがいモン」たちの終焉』と、暴露本(奥菜秀次『落合信彦・最後の真実』)が105円コーナーに並んでいることがあるが、後者はAmazonマーケットプレイスで105円以上の値が付いてるから、転売を視野に入れると、後者だけ買うのがお得である。
 私の熱意が通じたのか、友人・ヒロノリさんは帰宅後、予習教材として以下のリンクをまとめてくれた。
 これで予習は完璧である。

 さて、道中ひたすらノビーネタを語り尽くし、全員いつでもヘリで海底油田に迎える心持ちになったところで、いよいよアサヒビール・吹田工場の敷地に足を踏み入れる。
 受付を済ませ、我々は小ホールに案内された。
 まずはそこで、アサヒビールの取り組みや、アサヒスーパードライにかける社員の情熱をまとめた10分の映画を観るとのこと。当然、我々はノビーのCMが冒頭に流れることを期待したが、残念ながら何故かそれは流れなかった。

 映画を見終わった後、見学者は二組に分かれて工場見学に移る。
 我々の班は後半組で、すらっとしたスタイルの良いキレイ系のお姉さんだった。私のテンションも否応なく上がろうというものだが…私は胸中にある違和感があることに気がついた。
私「ヒロノリさん、ちょっと…」
ヒロノリ「なんですか?」
私「(小声で)あのお姉さん…麒麟の川島に似てません?」
ヒロノリ「!?」
 虚を突かれたヒロノリさんの表情を見て、私は悦に入った。
 今考えると、何を悦に入ることがあるのかさっぱりわからないが、ウケを取れたと満足した私はそのまま慢心してしまった。後で、側を歩いていたさいころさんにも同じ事を言った。
 すると、さいころさんが妙なことを言う。
さいころ「でも…いいんですかね?」
私「? いいんですかね、って何がですか?」
さいころ「いや、アサヒやのに麒麟って…
私「!?」
 やられた。完全にやられた。どうして麒麟の川島まで辿り着きながら、「アサヒやのに麒麟って」この一言が言えなかったのか。俺のアホ! 大アホ! 胸中を自戒の念が激しく去来した。今のところ、今年で一番悔しかったことなのは間違いない。

 工場見学では、ルート上にどデカいスーパードライ缶のオブジェがあった。大きさはちょうどノビーくらいだ。お姉さんがボタンを押すと、それがゆっくりと反転する。裏にノビーが張り付いているのではないかと思ったが、そんなことがあるわけはなく、裏に出てきたのはビールの原料の説明だった。そしてそこには原料であるホップと麦の実物も置いてあり、触れることができた。
 ホップは割るとあのビールの香りがした。麦の方は、実際に食べることができる(ドレッシングの容器のような口の細いプラスチック容器からお姉さんが出してくれた分だけ)。思っていたよりも甘かった。…これ以上のリアクションは取れなかった。

 実際に稼働している工場を見たときは圧巻だった。大量のビール瓶・缶に次々とビールが注がれていく。アサヒビールでは、出来たて・鮮度にこだわり、その都度出荷する体制をとっている。とすると、今、目の前で作られているビールは、程なく関西一円に出荷され、消費されていくことになる。夏の暑い盛りで消費量が高いとはいえ、目の前を流れる大量のビールを見ていると、これだけのビールを誰が飲むねん、と、つい思ってしまう。
 そして、このうちノビーが消費するのはいくらくらいなんだろうか…とも。

 案内のお姉さんは「質問があったら何でも言って下さいね」と優しく言ってくれた。
 しかし、私は聞けない二つの問いを抱えたままだった。

 一つは、アサヒビールの転換点の話。
 かつて、ビールと言えばキリンラガーであり、アサヒビールはずっと低迷していた。あるとき、新社長が就任し、その社長は真っ先にキリンビールを訪問し、こう訊いたそうである。
「うちのビール、どうやったら美味しなりますかね?」
 身もフタもなさ過ぎる問いではあるが、答える方もすごい。
 キリンビールの社長はアサヒビールの工場を視察し、こう言ったそうである。

「窯から変えないとダメですな」
 ここで凄いのは、アサヒビールはその言に従い、本当に窯ごと変えてしまったというのである。
 改革するとなったら徹底的にやること、そして、ライバル企業にもアドバイスをする姿勢は、日本企業史に残る美談だと思うのだが、これ…本当の話なんだろうか?
 親父から聞いただけで裏取りしていないので、訊いては見たかったのだが、やはり内容的に訊くのは憚られた。

 もう一つは、『美味しんぼ』でドライビールが酷評されていたことについてである。
 作中で山岡士朗は「ドライビールは刺激があるだけでビール本来の麦のほろ苦さがない。まるで鉄を舐めているようで、鉄のスプーンを舐めても同じ味がする」などと言っていた。
 しかし、私は鉄のスプーンを口に入れても、一度たりともスーパードライの味がしたことなどない。また、本当に鉄のスプーンからスーパードライの味がするのなら、「私の血はワインで出来ている」と言っていた某女優の局部もスーパードライの味がしなければならないことになるが、そんな話も聞いたことがない。
 酷い言いがかりだと思うのだが、この点どう思いますか…ともさすがに聞けなかった。

 工場見学が終わると、お待ちかねの試飲タイム。
 実は、アサヒビール吹田工場では、ドイツのレーベンブロイもライセンス契約して作っている。
 おかわりは3杯まで、と聞いていたので、頭の中では「スーパードライ→レーベンブロイ→スーパードライ」という方程式ができあがっていた。
 で、早速、一杯目のスーパードライをいただく。
 出来たてのビールは味が全然違う、とは聞いていたが、正直これほどとは思わなかった。とにかく美味しかった。
 また、出来たてはほろ苦さがより強く残っていたように感じられた。雁屋哲はほろ苦いドライビールが飲みたければ、工場見学すればいいのに。
 そして、おつまみで出てきたおこげせんべいにも感動。絶妙の塩加減でビールが進む、進む! 友人達は口々に「これ、スーパーで売ってるのみたことあるけど、高いねん」と言っていた。しかし、実際口にしてみると多少高くても納得する味である。

 さて、おかわりをしようとビールサーバーの方に目をやると、サーバーの前には3人の女性と初老の男性がいた。この初老の男性、見事な禿頭で何となく貫禄というか雰囲気がある。友人・タカシゲさんは「あの人の注いでくれるビールが一番うまいと思う」という。
 いつしか我々の中では、その初老の男性を「レーベンブロイ卿」と呼ぶようになっていた。

 サーバーの調子が少しおかしかったのか、レーベンブロイ卿がサーバーの横をあけてあれこれいじってたせいで、二杯目のレーベンブロイはレーベンブロイ卿に注いでもらえなかったものの、三杯目のスーパードライは無事レーベンブロイ卿に注いでもらえた。(…って、これ、「レーベンブロイ卿」って言いたいだけやないか)

 帰り際に聞いたところ、さすがに毎日来るのはNGらしいが(そりゃそうだw)、割りと頻繁に来る人はいるらしい。「是非また来て下さいね」と仰っていたので、今度は別の人を連れて行こうと思っている。そのときは、是非、レーベンブロイ卿にレーベンブロイを…(しつこい)