2020年8月31日月曜日

最終回のテーマ

昨日、最終回を迎えた「仮面ライダーゼロワン」。 

観始めたのが最終回の1回前だったため、どういう話かさっぱりわかりませんでした。 
わからんなりに登場人物の会話を追うと、どうやら敵はアンドロイド(ヒューマンギア、というらしい)で、人間とアンドロイドが共存すると同時に、ターミネーターほどではないにせよ、悪の機械と人類が戦う…みたいな話なのかな? と。
AIにも心が芽生え云々…というのもテーマにあったようです。

最後、仮面ライダーゼロワンだったロボットの会社社長・飛電或人(ひでんあると)が、戦いの中で初回から出ていた重要キャラで、最後の方で壊された秘書のヒューマンギア・イズと全く同じヒューマンギアを作ります。

が、外形こそ一緒でも、これまで一緒にいたときの記憶がない…あまりに切ない…(by.アンジャッシュ児嶋)→でも前向きに、また一からイズを教育していく、というラストでした。

同じ時間を共有してきた記憶のかけがえのなさ、というのはヒューマンギアで果たして成立するのか? という疑問が見ていて沸々と沸いてきました。

そこで、子供には最終回のテーマを一言で解説しておきました。


「あれや、データのバックアップを取っとけ、っちゅうことや」

2020年8月30日日曜日

条件反射

今朝も娘とプリキュアをみたのですが、

娘のお気に入り、キュアフォンテーヌの変身シーン

「交わる二つの流れ…

 キュアフォンテーヌ!」

というところで思わず、

「フォン、テーーヌ!」

と叫んでしまいました。




 

2020年8月23日日曜日

観たものと見なかったもの

ついに、娘がプリキュアを観てしまいました。
 
今まではプリキュアの存在について、
「気のせい」
「都市伝説」
とし、
おじいちゃんにパズルを買ってもらったときも、
「パズルだけのオリジナルキャラ」
と言い張り、
保育園の友達の会話で出てきても、
「お友達の家はスカパー!入ってんとちゃうかな?」
とごまかしてきました。

が、今日放送のプリキュアを家のテレビで観てしまうに至り、ごまかしが効かなくなってしまいました。
 
続く仮面ライダーゼロワンは最終回の一回前で、昭和のライダーとBLACK、RXまでしか観たことのない娘は、「何か仮面ライダー、喧嘩しとったなぁ」とお話を的確に理解していたようです。
隣で観ていたお父ちゃんは、冒頭のアンドロイド達がプラカードもってデモをしているシーンで大笑いしてしまい、しかもそのアンドロイドたちがしっかりソーシャルディスタンスを守って距離をとっているので「いや、お前らは新型コロナかからんやろ!」と鬼の首を取ったようにつっこんでしまいました。
 
そんな僕たちを見ていた妻の、苦虫を噛み潰したような表情だけは、父娘とも見なかったことにしました。

2020年6月1日月曜日

シャア専用おサイフケータイ

スマホを新調しました。
今、iPhone6sを使っていた層(まさに私!)と、ライトユーザーにバカ売れしているらしいiPhoneSE(第二世代)です。
ハイエンドな廉価版ということで、シャア専用ザクをイメージして赤にしましたが、体感処理速度は本当に三倍になっている気がします。iPhone11と同じチップが搭載されているのも伊達じゃありません。

何とか持ち物を減らしたいと思っているところにお誂え向きのおサイフケータイということもあり、個人的には言うことなしです。

このタイミングでたまたま妻が買い物のお金を返してくれました。
ちょうど手元に財布がなかったので、お札を折ってスマホケースのカードポケットへ何気なく入れたところ、妻が一言。

「へぇ〜、それがおサイフケータイ」





…違うと思います。

2020年5月18日月曜日

二人をつなぐ縁

テレビを見ていて閉口するのが嫁の「これ誰?」の質問ぜめ。
「で、どうなるの?」とオチまで聞いてくることもしばしば。
そのくせ僕が先に見ていた相棒の犯人を教えようとすると怒り出す神経がイマイチわかりません。

2020年5月11日月曜日

[紹介] ゲルト・ギーゲレンツァー『数字に弱いあなたの驚くほど危険な生活』=『リスク・リテラシーが身につく統計的思考法』


本書の単行本を本屋で見かけ、偶然手に取ったのは15年以上前のこと。
ちょうど父親にガンが見つかり、父に手術の説明を自然頻度を用いてしたのを覚えている。

昨今の新型コロナ騒動で、「そう言えば昔読んだことがあったな」と思い出した。
この動画(↓)の最後でも本書の単行本を薦めていたので、久し振りに読み返してみることに。


ただ、本棚を見ても見つからず。
そういえば文庫本が出たから買い直そうと手放したような…
これだから断捨離とかこんまりとかはロクでもないんだよ!
…と八つ当たりもそこそこに、Amazonで調べてみるとビックリ!
絶版になった単行本にプレミアがついてる!
書名を変えた文庫本も絶版となっており、中古しか出回っていない状況。
値崩れも起きてないので、いよいよ良書を手放してしまったと後悔。

Amazonで中古の文庫を買ってから、何気なく本棚を見ると…あれ?
あった…!
断捨離とかこんまりにビッシャビシャの濡れ衣を着せてしまって申し訳ない、とは露ほども思わず、ただただ胸に去来するのはやっちまった感だけ。
つくづく人間というのは勝手な生き物です。

新型コロナによる緊急事態宣言下にある現在、15年以上前に読んだときより本書の内容理解が進むのに驚きました。
検査結果の偽陽性・偽陰性の説明が面白いように頭に入ってくるだけでなく、気がつくと、本書で繰り返し登場する事例を見ると読み進めるのをとめ、メモ帳に表を書いて楽しく計算している自分がいました。

「なぜ数学を勉強しないといけないのか?」
中学生だった自分も思っていたことですし、塾講師をしていた頃には少なくない生徒から言われた定番の問いです。
今までの自分だったら「別に、銀行強盗に人質にされたとき『この連立方程式を解けた奴から解放してやる!』とかは絶対ないけど、論理的な思考の訓練としては数学が一番最適なんや。目に見えない思考のOSの部分を鍛えるためや」とか、自分自身しっくり来ていない観念的な理由づけでおそらく生徒を煙に巻きながら、自分自身も納得したつもりになっていました。
が、今ならハッキリ言えます。
「論理的にものを考える前提として、データや数字を理解できないといけない。
そのためには確率・統計、引いては数学の素養がないといけないから!」

テレビ朝日・モーニングショーを筆頭に、特にテレ朝・TBS系のニュース番組やワイドショーではインチキ専門家を呼んでデマと大差ない間違いを連日垂れ流し続けています。
そういうインチキ専門家や、自分たちが今流している報道内容についてろくにリテラシーを持ち合わせていない報道番組の内容を「これは間違いだ!」と見抜けるようになり、インチキ情報に惑わされないためにも、数学は絶対必要だとつくづく思います。(学生時代、もっと真剣に数学を勉強してれば良かった…後悔はいつも後からやってきます)

本書は大きく3部に分かれており、1部ではリスクについての考え方がコンパクトにまとまっています。
2部では乳がんや前立腺がん、DNA鑑定、再犯可能性、と医療と司法の具体例をとおして1部で見た内容をさらに具体的なケーススタディとして見ていきます。
3部では数字に弱いとどれだけ騙されるか、そしてモンティ・ホール問題が紹介されており、本書の内容を復習しつつ、数字でかつ具体的にものを考えるとはどういうことかを説明してくれています。

病気の検査にまつわる偽陽性・偽陰性の話も面白かったのですが、もう一つ面白かったのが訴追者の誤謬に関する話。
皆さんはこれから紹介する説明の間違いがわかるでしょうか?
ある殺人事件(ドイツの事件)で、被害者の爪の中に血液が残っており、これが被告人の血液型と一致した。
裁判で大学講師が、ドイツ人の17.3%がその血液型に一致すると述べた。
第2の証拠として、被告人のブーツについていた血液があり、これが被害者の女性の血液型と一致した。
くだんの専門家は、ドイツ人の15.7%がその血液型であると証言した。
二つの確率を掛け合わせると、この二つが偶然に一致する確率は2.7%と出る。
したがって、被告人が殺人者である確率は97.3%である、と専門家証人は言った。
(文庫244頁を一部簡略化した)
偶然に一致する確率が2.7%と言われるとほぼ間違いないように思いがちです。
が、本当にそうなのでしょうか?
この事件が起きた街に犯人の可能性がある男声が10万人いると仮定する。
このうち1人が殺人者で、ほぼ確実に両方の証拠と一致する(鑑定の際にサンプルが取り違えられるなどの誤りがないことを前提とする)。
犯人以外の9万9999人のうち、役2700人(2.7%)もこの二つの証拠と一致する。
したがって、二つの証拠に一致する被告が殺人者である確率は、専門家証人が述べた97.3%ではなく、2700分の1で、0.1%以下である。
(文庫245頁を一部簡略化した)
2.7%という数字を具体的な数字に置き換えて考えると、97.3%だと思っていたものが0.1%以下だったことがわかります。
言われれば納得なのですが、確率を自然頻度に置き換えずに考えることがいかに危険かを思い知らされました。

こんな面白い良書が絶版って、早川書房さん何やってんの!


以下は本書を読んでいて興味深かったところの抜粋メモ。

・フランクリンの法則「死と税金以外に確実なものはない」
・リスクを語るときは確率ではなく頻度(自然頻度)。
 ×30% → ○10人のうち3人 + 頻度のもとになる集団の特定
・不確実性(事実)←→安心感を得たがっている(心情)
・不確実性を伝えると、プラセボ効果が消えてしまう
・医師・患者・製薬会社、それぞれにとってリスク・コストとメリットは違う
・カント『啓蒙とは何か』→「知る勇気を持て」(Sapere aude)
・主観的確率…「手術の成功率は80%です」→根拠も比較対象もない
・一度限りの出来事の確率…主観的確率になりやすい
・「降水確率30%」とは?…定義があいまいならハッキリしたことはわからない
 ①1日のうち30%の時間、雨が降る
 ②ある範囲の30%に雨が降る
 ③同じような日のうち10日に3日は雨が降る→○

・絶対リスク減少率…0.9%ダウン 治療なし(偽薬)で死んだ人々の割合から、治療を受けていて死んだ人々の割合の差し引き
・相対リスク減少率…22%ダウン 絶対リスクの減少値を治療なしで死んだ人の数で割ったもの
・要治療数(NNT)…111人 一人の命を救うために何人を治療しなければいけないか、という数(=110人には無駄な治療ということ)
 →マスコミが伝えたがるのは「相対リスク減少率」、大きな数字が出るから
・条件付確率…偽陽性の問題
・(p66)なぜ確率をもとに正しく推論することが容易でないか?
 →不確実性・不完全な情報から推測するという確率論自体が人類史の中では比較的新しいものだから
・(p80)陰性・陽性のマトリクス…偽陽性・偽陰性が間違い=問題
 cf.分類性能の指標・まとめ

・暴力の予測…今後この犯罪者が再び暴力行為を振るう確率
・確率と自然頻度では優位的な差が出る(確率の方が高く出る傾向)
・「目盛り効果」…ハッキリした数字がわからないとき、回答欄の目盛りに回答が左右される


2020年5月4日月曜日

我が家のロックダウン

緊急事態宣言が出てからこっち、うちでは毎日が「幸せな地獄」です。 3歳になる子供が僕に懐いてくれるのは親として嬉しい限りなのですが、家にいると自分の時間がほとんど取れず、それはそれで困るわけです。
世のお父さん・お母さんがテレワークとかしてるように仄聞したのですが、どうやればそんな神業が可能になるのか、誰か教えてください!
保育所の有り難みを心の底から日々痛感しています。

2020年4月27日月曜日

前世紀の残滓

中島らもの『変!!』という本の中に、以前から探していた記述が見つかった。
中島らも『変!!』(集英社文庫)

中島氏が朝日新聞紙上で連載していた「明るい悩み相談室」に月何百通と届く投書のほぼ7割がオナラネタかそれに類した下ネタであることの指摘に続き、こう書かれている。
ただ、こうしてオナラの話ばかりが飽きもせずにくるのは、考えてみれば仕方のない話なのかもしれない。朝日新聞の読者というのは真面目な人が多いようだ。三代続けて朝日新聞を取っている、ということを誇らしげに書いてくる人が異様に多い。また、職業別に見ると、教職関係者の人からたくさんくる。…
(中島らも『変!!』(双葉社)164頁以下・強調引用者)

2020年4月20日月曜日

2020年4月13日月曜日

ユニセックス

中国ドラマ「項羽と劉邦 King's War」で張良を演じている俳優(霍青 フォ・チン)さんは、


同じく中国ドラマ「三国志 Three Kingdoms」の魯粛を演じていました。


日本版を作るなら、演じるのは木村多江で決まりです。


2020年4月6日月曜日

マンガにおける万物インフレの法則

半年程前、Kindle unlimitedに『新ナニワ金融道』シリーズがあることを知り、読んでみました。

読後、胸中に何とも言えないむかつきのようなものが残りました。
大急ぎで補足すると、このシリーズが面白くなかったと言うわけではありません。
青木雄二プロダクションが故・青木雄二のテイストを守りつつ物語を新たな局面へ進めていくのは、ある意味で相当勇気の要ることです。
そうでなくとも旧作ファンというのは思い入れが強ければ強い程、後継作品に対する目が厳しくなるものですが、『新ナニワ金融道』シリーズはかなりの満足度が得られる作品だったように思います。

ただ、読み進めていく内に、青木雄二の世界観を引き継ぐ有名作品『カバチタレ!』シリーズとの共通点が垣間見えました。
そのことについて少し書いてみます。

2020年3月30日月曜日

教科書にないッ!

教科書にないッ!
(本文と画像は無関係です)

木村草太教授がまたいい加減なことを言っている。

以下は、2020年2月17日に行われた公益財団法人日仏会館討論会での質疑応答の様子を引用したものです。民間での討論ですが、メディアで周知された研究者の発言は、この間、親権問題に関する意図的な論点ずらしを含むものであり、法務省民事局参事官室が用意する商事法務研究会での論点資料においても同様の指摘が見られるため、ここで紹介いたします。

【公益財団法人日仏会館討論会(2020年2月17日開催)】
(木村草太・首都大学東京教授の発言要旨)
離婚後共同親権親権につき、両者(親)が協力出来るのであれば単独親権であっても事実上の共同親権に出来るので、新たな立法は不要。協力出来ないのであれば、子について何も決定出来ないデッドロックに陥ってしまい、子にとって有害になる。

来場者からの質疑応答で、当会会員Aから以下のような質問がなされるとともに、以下のやりとりがありました。

A「木村先生は上述のようなお考えとのことだが、そうであれば、「婚姻中についても単独親権とすべき」となぜ主張されないのか。上述の議論は、婚姻中についても全く同様に成立するはず」
木村教授「お答えとしては、婚姻中に子について両者で合意出来ないのであれば、離婚すべきということです。民法の教科書にもそのように書いてあります
A「それはおかしい。離婚すべきかどうかは、経済的問題等様々な要素が絡む話であって、子について合意出来るかどうかだけで決められる話ではない。」

途中まで言いかけた所で、時間切れとなり、司会に発言が止められています。

この件につき、当会として以下のように考えます。


①子に関する事項は重要ではあるが、離婚というのはそれ以外の観点も含めて総合的に判断するものなのであって、「ではなぜ、婚姻中は単独親権より共同親権が望ましいと言えるのか」という疑問に何も答えていない。
②仮に「離婚すべき」というのが正しいとして、離婚出来なかったらどうするのか、全く不明。子の重要事項に関する不一致というのが、離婚の有責主義において離婚事由とされていないこととの整合性が不明。
③結論として木村説は、婚姻外のカップルを合理的根拠なく差別するものであり、明確に単なるダブルスタンダード


民法について詳しくない一般の方は、「婚姻中に子について両者で合意出来ないのであれば、離婚すべきということです。民法の教科書にもそのように書いてあります」という発言を読んで驚かれたのではないだろうか。
だが、安心して欲しい。家族法を一通り勉強した人もこの発言には驚きと違和感を禁じ得ないはずだからだ。

「民法の教科書にもそのように書いてあります」とのことなので、早速いくつかの民法の教科書をひもといたが、親権の行使についてはおよそ以下の内容しか見られなかった。

  • 「親権は、父母の婚姻中は、父母が共同して行う」(民法818条3項本文)の紹介
  • 父母の合意に基づくものであれば、親権行使の際の名義は一方の単独名義で行われてもよい
  • 単独名義で行われた親権の行使が、実は父母の共同の意思に基づくものでなかったとき、親権行使としてなされた代理行為は無権代理となり、一方のみの合意に基づいて未成年がした法律行為は同意なき法律行為(取消可能な行為)となる
  • 父母の一方が親権を行使できない場合は他方の一方のみで親権行使できる(民法818条3項ただし書)

婚姻中の親権行使は父母の共同を前提としており、父母の意思の合意がないとその効果を後から否定できるようになっていることの説明しかない。
これだけをもって「婚姻中に子について両者で合意出来ないのであれば、離婚すべき」と読み込むのは難しそうである。

離婚についても見ておこう。
離婚の方法としては、(1)協議離婚(民法763条以下)、(2)調停離婚(調停前置主義。家事事件手続法257条1項)、(3)審判離婚(家事事件手続法284条1項本文・2項)、(4)裁判離婚(民法770条)がある。

(1)協議離婚の要件としては、①離婚意思のあること(763条)と、②当該夫婦に未成年の子がある場合に離婚後に親権者となる者を定めること(民法819条1項、765条1項)、そして③届出である。
これらの要件から民法が「婚姻中に子について両者で合意出来ないのであれば、離婚すべき」という価値判断を読み取ることはできない。
(2)調停離婚、(3)審判離婚は、第三者を入れて離婚を協議し、離婚の合意が成立すればその合意に強制力が発生するというものなので、協議離婚に準じて考えることになる。

では、(4)裁判離婚はどうか。
裁判離婚は法定の離婚原因に基づいて訴えを起こし、裁判の判決によって成立する離婚のことである(民法770条)。
そして、離婚原因については770条1項1号から5号に列挙されている。

  1. 不貞行為(1号)
  2. 悪意の遺棄(2号)
  3. 配偶者の3年以上の生死不明(3号)
  4. 配偶者の回復の見込みのない強度の精神病(4号)
  5. その他婚姻を継続しがたい重大な事由(5号)

親権行使の合意が出来ないことを離婚原因とするなら、トランプのジョーカー的とでも言うべき抽象的離婚原因である5号に読み込めそうではある。
ただ、それとて、親権行使の合意が出来ないことで夫婦仲が決定的に破綻し、「婚姻を継続しがたい重大な事由」と裁判所に評価される程度でなければ離婚原因とならない。

結局、民法の教科書からは、「親権の共同行使ができないことは、それが婚姻関係の破綻を来し、民法770条1項5号の「婚姻を継続しがたい重大な事由」に該当する程のものであると評価される場合にのみ裁判離婚しうる」くらいしか読み取ることはできない。
この、事案の具体的事情によってあり得べき結論の一つにすぎない共同親権行使不能による離婚を「民法の教科書に書いてあります」とまで言い切るのは論理の飛躍と言わざるを得ない。

私の理解はごくごく一般的な理解だと思うが、もしこれが間違っている、親権の共同行使ができない夫婦は離婚すべきというのが民法の示す価値判断であり、民法の教科書にもそう書いてあるというのであれば、その教科書を是非教えていただきたい。

2020年3月23日月曜日

2020年3月9日月曜日

援誤射撃

一言一句はハッキリ覚えていないが、昔(前世紀!)、泉ピン子が、

傲慢、ワガママ、泉ピン子!
TV番組のスタッフをイビり倒したり、時には手をあげたりすることも!

といった内容で週刊誌からバッシングを受けていたことがあった。