2014年7月7日月曜日

[感想] 映画「逆転裁判」

 原作ゲームは大好きなのですが、テレビCMで映画の予告編を見たとき「こ、これは…」と固まったのを覚えています。原作ゲームのコスプレを映画でそのまんまやっていたから。ハッキリ言ってコスプレコントにしか見えず、「これは観なくて良いか…」と敬遠してました。
 その映画が今回CSで放映されていたので、録画して観てみました。

 映画予告編を見たときに感じたことは、良い意味で裏切られました。
 主人公の弁護士・成歩堂龍一(なるほどうりゅういち)を成宮寛貴が演じていたのですが、コスプレの違和感は5分で慣れました。そればかりか、最後の方は成宮君がゲームの成歩堂と見分けがつかないくらいに見えてきました。
 裁判長役の柄本明が大河ドラマスペシャル「坂の上の雲」の乃木大将とかぶって見えたのはご愛敬ですが、御剣検事や綾里真宵などもゲームのそれとして見えました。一見無茶なコスプレ劇かとも思いましたが、予想以上のクオリティだったと思います。

 映画のストーリーは、原作ゲームの1話・2話・4話に相当する部分。シナリオの出来も良く、ぐいぐい引き込まれた話ばかりなので、面白くないわけがありません。「そうそう、こんな話だったなぁ」と懐かしさも覚えつつ楽しんでみていました。

 ただ、観ていると途中から引っかかりを覚えるようになりました。
 それはシナリオを知っているから、というのとは別の部分でです。
 どうも、原作ゲームをやっていたときにあったワクワク感、ドキドキ感が感じられません。

 何となく引っかかりを覚えながら観ていて気がづきました。
 それは、「逆転裁判」というゲームの面白さを支える要素・構造です。

 予備知識の無い方に簡単に説明しておきますと、この「逆転裁判」というゲームは、法廷を舞台にした推理ゲームです。
 プレイヤーは主人公である弁護士・成歩堂龍一となり、依頼人である被告人の無罪を勝ち取るのが目的です。
 探偵パートでは事件の真相を調査し、証拠品を集めます。そして法廷パートでは、証人を尋問していきます。明らかにウソを言っている証人もいますが、思い違いや記憶違い、自分の見たものとその見たものが示す意味がズレているなど、証言の矛盾や疑問点は様々。それを、時にゆさぶり、時に証言の矛盾を突き、そしてその矛盾を証拠づける証拠品を突きつけます。
 既存の推理系アドベンチャー(ADV)ゲームは、会話の総当たりで展開していくだけになりがちでした。要するに、全てのお話を読むだけ、選択肢付きの紙芝居、という感じがあったわけです。
 が、「逆転裁判」でこういったシステムを導入したことで、プレイヤーがかなり主体的にゲームを進めていく感覚を得ることになりました。これはADVゲームにおける一つの画期だったと思います。
 しかも、「逆転裁判」はシナリオそれ自体が非常に練られていて、クオリティーが高いのです。先の展開が読めないどんでん返しの連続。その上、探偵パートで調査してわかった新事実や、そのときは意味もわからず獲得した証拠品が、法廷パートで証人の証言を聞いたとき、証拠品の「意味」が突然ひらめいたりします。この辺のさじ加減も非常に上手く、GBAで大ヒットし、その後もiPhoneアプリなどに移植されて当然の名作と言えます。

 映画化の話が持ち上がったとき、おそらくシナリオの面白さに目が行ったのだと思います。
 確かに、「逆転裁判」のシナリオそれ自体も法廷ミステリー・サスペンスとしてクオリティが高いと思います。ただ、シナリオの面白さだけで勝負するとなると、絶対原作ゲームに負けることもまた明らかです。ゲームシステムとシナリオが織りなす融合的な面白さのうち、シナリオだけで勝負すれば絶対パワーダウンは否めません。
 しかも厄介なことに、このゲームが担保している知的なスリリングさの本質は、ゲームシステムの方にあったりするのです。

 基本的に原作ゲームでは、成歩堂がかなりドジなキャラとして設定されています。プレイヤーもゲームになれていない序盤は様々なアシストがなされるのですが、それも全て周りのメンターキャラが「しょうがないわね、ナルホド君」という形でアドバイスしてくれます。そして、プレイヤーはアドバイスをもらいながら、この鈍くさい成歩堂を操ってゲームを進めていきます。つまり、ゲームの主人公とプレイヤーは「プレイヤーの方が主人公よりも"わかっている"」という関係性になっているのです。
 そうやってドジな主人公を操りながら事件の真相を調べていくわけですが、ときどきプレイヤー自身で考えなければならない場面が出てきます。ただ、ここでも成歩堂と一緒に悩むことになるので、プレイヤーと主人公が横並びにはなっても、やはりプレイヤーが主人公を見る視点は「上から目線」です。
 それが切り替わるのが事件の最後の場面です。事件の最後に、真犯人を決定づける証拠品を突きつけるのですが、このとき、事件の真相に気づいた成歩堂が「あなたが犯人だという証拠は…これだ!」と断定し、そこで証拠品の選択がプレイヤーに迫られます。この瞬間、プレイヤーと主人公の立ち位置が「逆転」します。今まで操作の対象だった主人公に、無言の内に「当然解ってるだろ、お前?」と投げかけられ、プレイヤーがそれに答えなければならなくなっているわけですから。そしてその投げかけに正解をもって答えたとき、プレイヤーは成歩堂と一体化して証拠品を相手に叩きつけるわけです。「くらえ!」と。

 ゲームと映画では、メディアが異なる以上、表現手段も異なってきます。ですから、ゲームを映画で忠実に再現することはできません。むしろ、ゲームとは違った形で、映画にしかできない表現を用いて、ゲームにあったワクワク・ドキドキ感を再現しないといけません。でないと、別メディアで作品化する意味がありませんから。
 そういう意味において、本作は原作ゲームの持つ面白さ、あるいはそれに代替する「映画でしか表現できない面白さ」を打ち出せていたか疑問です。絵的には面白いし、ゲームをしない人に「へぇ~こんな話なんだ」と知ってもらえるくらいはできたと思います。が、原作ゲームが好きな人にとっては原作ゲームの面白さを削いだ映画化と映るでしょうし、原作ゲームを知らない人にとっては原作ゲームの一番面白い部分を知らずにお話を知ってしまうことになります。

 もちろん、「逆転裁判」のストーリーそれだけでも楽しめるとは思いますし、楽しんだ方の感想を否定する気はありません。
 ただ、私にとっては、「そもそも、とある作品を別媒体である映画にする意義とは何か?」ということを考えさせられるものになりました。