織田信長こそが日本に近代資本主義の精神を植え付け、一気に根付かせた画期である、というのが本書の主張。
さすがにちょっと極端だろう…と思いつつ読み進めていましたが、読み進めると止まらなくなる面白さでした。
「第1章 「本能寺の変」が近代日本を創った」「第2章 信長なくして、明治維新なし」という章題から、もう大胆きわまりないです。
が、本能寺の変において信長の近習がその身分の上下を問わず最期まで信長と共に戦って死んだことを指摘し、これが日本の戦国時代の常識から如何にかけ離れていたことであるかを説明されると、次第に著者が強調する信長の特異性が浮かび上がってきます。
光秀と信長に、それぞれ前近代的な日本らしい集団と、近代資本主義の精神に通じる革新的な意識改革がなされた集団と見立て、本能寺の内外で全く別の価値観に基づく集団が存在していたと喝破する辺りはスリリングでした。
この辺りは、あるいは著者の真骨頂と言えるかもしれません。いくつもの学問に通じた知の巨人たる著者は、その学問から抽出したエッセンスをモデル化して、構築したモデルを通して各事例の内にある構造を鮮やかに描き出すということを繰り返し書いて来ました。その著者による、モデルを用いた事例分析としての「信長」ですから、面白くて当然と言えます。
また、他に驚かされたのが著者の文献渉猟の範囲の広さ。
第1章で、信長が本能寺の変において自分の首級を残さなかったことが、後々まで信長の威光を保つと同時に、光秀に精神的なプレッシャーをかけ続けたと指摘する箇所で、比較としてヒットラーの話を持ち出します。
死体の行方不明。まさか知の巨人たる著者の本で、あのノビーの書名が指摘されるなんて!(笑)
是れほど、死体が保持するカリスマを高揚することはない。
ヒットラーは、一九四五年(昭和二十年)、ベルリンの地下壕でピストル自決したことになっているが、ヒットラーは本当に死んだのか。
となると、まだ、確証は何処にもない。
是れが間違いなくヒットラーの死体である。
こう確証される物は、まだ、何処にも存在しないのである。
だから、色んな風説も流れる(例。落合信彦著『20世紀最後の真実』)
(58頁)
「第3章 桶狭間は奇襲などではない」も面白かったです。藤本正行『信長の戦争』や宮下英樹『センゴク外伝 桶狭間戦記』を読んでいたので、信長が全てを見通していたかのような書きぶりは少し引っかかったものの、上記二冊とも共通する、桶狭間の戦いに関する通念を否定する考え方をこれだけ打ち出していたのにビックリすると同時に、著者の物の見方の鋭さに改めて感服しました。
(ちなみに本書の初出は1992年)
本書については、歴史の細かい点についてよりも、モデルを通して巨視的に見たときの信長の卓抜性を楽しむべきでしょう。ダイナミックな歴史解釈を堪能したい方にオススメする一冊です。