山内一豊という凡夫が土佐二十四万石という過ぎた領土を治めることになったのは悲劇としか言いようが無い。器って大事だと思わされた。秀忠と静のラブロマンスが、後に名君・保科正之と幕末会津の悲劇を生むことに…(crossreview)
名作歴史大河マンガ、二巻は関ヶ原終了後から大坂の陣が始まるまで。
幕末まで続く土佐の悲劇は、山内一豊という凡人がゴマすりだけで土佐二十四万石という分不相応な領土を得てしまったことに端を発します。
関ヶ原の合戦の折り、いち早く徳川に領土を差し出し、それが土佐二十四万石という大リターンになって返ってきました。一生一度の大ばくちに勝ったわけですが、宝くじで何億円を当ててしまったが為にその後の人生が破綻しちゃう人がいるように、それが彼にとって良かったのかどうかはよくわかりません。まぁ、少なくとも、土佐土着の武士たちにとっては最悪だったのは確かです。
コーラを買ってすぐにペットボトルの蓋を捨てるなんてレベルを遙かに超える「ワイルド」な土佐っこに、これ以上無いくらい怯えまくった凡夫・山内一豊は、在郷の武士を相撲大会と称して呼び寄せて虐殺するまでのことをし、苛烈なまでの身分差別制度を敷くに至ります。どうひいき目に見ても山内一豊に土佐二十四万石を治める器などなかったとしか思えないのですが、この差別的身分制度が幕末に坂本竜馬や武市半平太を生むのですから、歴史の必然というのは皮肉と言うしかありません。
後半でフィーチャーされるのは、二代将軍・秀忠。律儀者で知られた秀忠が、父家康が寄越した女を丁重に迎え、指もつけずに返したというエピソードも紹介されています。律儀者という以外に、正室の達子(お江)を恐れ続け、側室を持たなかった秀忠が、生涯に一度だけ静という側女に手を付けます。そのラブロマンスもええ話なんですが、静が大奥を去ってから秀忠が二代将軍として人が変わったようになるのは、カッコ良いけど切ない話です。
一方の静は、秀忠の子を解任しています。その子こそが、後の名君・会津藩主保科正之です。後に正之が、父・秀忠や兄・家光とまみえるところが泣けるんですが、それは次巻以降で。
最後は風雲急を告げる大阪。家康の豊臣潰しの嫌がらせの数々は、それこそいじめなんて域を超えています。司馬遼太郎も指摘していますが、ミラクルピースと言われた徳川三百年の平穏は豊臣を徹底的に潰したからこそ訪れたものです。しかし、そこに至るやり口と統治の仕方にはある種の陰湿さが付きまとい、どうしてもこの頃の徳川に対しては暗い影のようなスッキリしないものを感じてしまいます。
そんな徳川に一矢報いようと馳せ参じたバットマン眉毛の長宗我部盛親の活躍も、次巻に続く!