■博雅朝臣 宣耀殿の御遊びにて背より玄象の離れなくなること
「僕は玄象 唐生まれ」で始まる、醍醐天皇秘蔵の琵琶・玄象が主人公のコミカルなショートストーリー。
「あそんでくれ」と源博雅の背に取りついた玄象。玄象は単に遊んで欲しいだけなのに、その意図が分からない宮中の人間は大わらわ。滝口の武士を呼び、鳴絃(めいげん・つるうち:弓に矢をつがえずに弦を引き音を鳴らす事により気を祓う退魔儀礼)をさせる。庭先で武士が弓を引き、「びおん びおん」と鳴らすのが壺に入りました。「びおん」という擬音はズルいわ(笑)。
■露と答えて
この話は、もちろんお話としても面白いが、同時に古典と日本史を勉強している高校生が平安時代の知識・習俗について知る上でも情報量が詰まっていてタメになる話です。
藤原兼家が、祈祷をしたり、女のところに通うのに暦をチェックして方角(方違え)をチェックしたり、冒頭から平安貴族の姿をわかりやすく描いてくれています。
妻問婚や夜離れのこと、その際の和歌のやりとりなどを見ていると、和歌というのが当時のメールだったことが改めてよくわかりました。晴明のメール…じゃなかった和歌の返しのゲスさがステキすぎて、コミュニケーションツールとしての和歌という姿が浮き彫りになっています。
兼家が遭遇したという鬼が生き生きしており、個人的には『陰陽師』に登場するキャラでは5本の指に入るお気に入りキャラです。「だすす… だすす…」と足踏みしながら歌う歌がこれまたいいんです!
心の丈は一万尺うっかりすると、風呂で湯につかっていると「おつ~るかーくごのちくしょ~どぉ~♪」と鼻歌交じりに歌ってしまうくらい、私、これ大好きです。
因果宿業(いんがすくご)の六道(りくどう)も
百の輪廻もまたにかけ
愛し愛し(かなしかなし)と
花踏みしだき
おつる覚悟の畜生道ォォ
夜離れの一件をそれとなく博雅に教えるために『伊勢物語』を引いてくるところは、当時の粋なやりとりというのを感覚的に教えてくれます。最後に、在原業平に対する紀貫之の評について、晴明が「フォークシンガーにプログレは理解できぬようなものさ」とさらりと言っちゃうところが、もう身もフタもないわかりやすさで、思わず笑ってしまいました。
だけど、この在原業平と紀貫之(理解できない人)の関係性は、ヒントを出してくれた時姫と博雅の関係性、そして晴明と世間の関係性、と構造的に重なっていて、こういう話の組み立て方をされると唸るしかないでしょう、もう!
で、ここに智徳法師が絡んできて、更に話がややこしくなるわけですが、ここで晴明と智徳のやりとりは『今昔物語集』の話が下敷きになっているわけです。他にも返し矢の話といい、憎いぐらいに上手くて面白いわけです。
改めて読み直して、「こんなに面白かったのか!」と思わされた巻でした。