ビートたけしの「間」をお題にした語り下ろし。間抜けの具体的エピソードに思わず笑ってしまうが、その内、漫才論・落語論・スポーツ論・映画論へと発展。最後はビートたけしの人生論へ。テレビで喋らない分がここに。(crossreview)
「間」をお題にした、著者の語り下ろし本。
冒頭の第一章では、間抜けについての具体的エピソードが目白押しで、著者の口調で再生しながら読んでいくと思わず笑ってしまいます。
が、章を追うにつれ、漫才論・落語論・スポーツ論・映画論へと発展。最後はビートたけしの人生論にまで至ります。
第二章の漫才論では、以前から著者が言っている漫才のスピード感について触れられていました。漫才に限ったことではないでしょうが、昔はもっと全体のテンポがゆったりしていました。それが時代を経るに連れて加速度的にテンポが上がり(スピードアップさせた一因が著者自身にある、と述懐されています)、今は早すぎて緩急がついていない状態が往々にして見られる、ということ。その間隙を突いたのがスリムクラブだ、というのには納得です。
そう言えば、以前松本人志との対談で、ダウンタウンの漫才についても同じようなことを言ってたように記憶しています。それまで2ビートのゆったりしたテンポだった漫才が、漫才ブームの頃から、4ビート、8ビート、16ビートとスピードを上げる方向で進んできたところに、ダウンタウンがいきなり2ビートの遅いテンポの漫才を繰り出した、というような内容でした。漫才の歴史・流れの中でダウンタウンの漫才を位置づけるとそうなるのかぁ、と思ったことがあります。
もう一つそう言えば。X-JAPANのYOSHIKIがどこかのインタビューで、「昔、どこまで速くドラムが叩けるかやってみたことがあるんですが、スピードをどんどん上げていっても、一定のところを超えちゃったら音楽的に意味が無いことに気がついた」というようなことを言っていました。確かに、ずっとドラムが鳴り続けている状態というのは、もやはブザー押してるのと変わらないわけで、老荘の「無用の用」みたいな話だな、と笑っちゃったことがあります。野球のピッチングにしてもスポーツのフェイントにしても、結局は緩急、つまり"間"なんだよなぁ、と本書を読みながらあれこれ考えてしまいました。
落語やテレビの話になると、著者の芸能論が全開になります。落語について「お辞儀のきれいな人に落語の下手な人はいない」というのは初耳(初読み?)だったんですが、説明されて納得。建築デザインの世界の言葉で「神は細部にやどる」というのがありますが、それと一緒。間の善し悪しというのはお辞儀一つにあらわれる、ということですね。
テレビについては、「ひな壇芸人」についてのコメントが秀逸。そうか、よく考えてみれば、ひな壇芸人のプロトタイプって「たけし軍団」なのかも。
昔と違って、現在の著者はあまりテレビで自論を展開したり語ったりすることがありません。どちらかというと出演番組の看板というかマスコットに近いポジションだったりします。
で、こういう本で、自論をまとまった形で言う。それによってバランスを取っているんだ、と本書を読んで気がつきました。本書の内容とは全然関係ないですが、メディアの使い分けというヤツは思ってた以上に大事なのかも知れない…ということを考えさせられました。
著者の語りを起こしたもの(のよう)なので、1時間もあれば読めるでしょう。
が、個人的にはやはり著者の口調で脳内再生しながら読むのがベターだと思います。松村邦洋のモノマネで朗読させた音源を発売したら…売れないか(笑)