2013年11月25日月曜日

[紹介] 高橋秀実『おすもうさん』

相撲道というと日本の国技にして伝統…というイメージが完全に崩れ去りました。何という「ゆるふん」体質! ゆるいにも程があります(笑)。そら外国人力士に跋扈されるのもわかるわ…と変な納得さえしてしまいます。(crossreview

 最近、超進学校・開成高校野球部の常識外れのセオリーを取材した『弱くても勝てます』がベストセラーになっている。同書を面白いと思った人に特にオススメしたいのが本書です。相撲の世界を取材し、身もフタもない…もとい、透徹した視点で描き出される、相撲界のルポルタージュ。それが本書です。

 体育で武道が必修となり、保守政党である自民党が衆議院で多数の議席を獲得した昨今、日本文化や伝統を大切にせよという声は強くなっているのかもしれません。
 日本の文化・伝統を見直し、それを大事にしていくことは誠に結構だとは思うのですが、「相撲は日本の国技だ!」「相撲道は日本の文化・伝統である!」と息巻かれると、それには違和感を覚えてしまいます。
 確かに、相撲は日本の文化・伝統であり、相撲に裏打ちされる日本人の気質というのはあると私も思います。が、それは多分に「ゆるふん」気質だと思うのです…

 本書を読んで唖然→爆笑したのが、相撲業界全体の流され気質。非常に言葉は悪いですが、主体性のないデブが周囲に流されていく内にいつの間にか相撲取りになっていた…そんな感じです。
 神棚や御幣など、著者が相撲にまつわるアイテムの故事来歴を一々聞くのですが、当の力士達は「そういうことになっているからそうしている」というだけ。別にそのことで相撲関係者を責めようとは思いません(「型の継承」も立派に意味がありますから)。むしろ、『徒然草』の狛犬の話のように、上っ面だけ見て相撲に日本文化・伝統を見出しているインテリの底の浅さを露呈させるエピソード…というのは意地悪い見方でしょうか?

 「相撲は日本の国技」というのも、両国の相撲施設を「国技館」と名付けたから。当時は「相撲如きが国技を名乗るとは何事だ!」という批判もあったとか。確かに、江戸時代の力士の身分というのは役者や芸者に近く、そう高いものではなかったことからしても、この批判の方が日本の文化・伝統にてらせば妥当なのかも知れません。

 戦前は合計十二柱の神が祀ってあったのに、戦後GHQによって三柱まで減らされた! というエピソードも、実際は「アメリカ人にアレが何の神様か一々説明するのがめんどくさい。なら思い切って説明できる三柱まで減らしてしまえ!」という、何だかなぁ…な事情によるものだった、など、相撲界の本来持つ「ゆるふん」で「呑気」な気質をあらわすエピソードには事欠きません。

 個人的に一番好きなのは、呼び出しと床山さんのエピソード。二人の少年が、なぜ二人が呼び出しと床山に分かれたのか…その真相は本書でお確かめ下さい。


 本書を上梓した後、相撲界で八百長問題が浮上し、その際著者は本書のような体質を語ったところ、ボロカスに批判されたそうですが(『結論はまた来週』参照)、著者が気の毒でなりませんでした。自戒も込めて言うと、我々が昔からの文化・伝統だと思っていることが、いかに歴史の浅い観念に過ぎないか、疑ってかかる必要があります。
 ちなみに、八百長を減らしたかったら、『ヤバい経済学』にあるように、7勝7敗同士に取り組みをさせれば良いのです。全部とは言いませんが、それだけで相当程度の八百長は減らせるでしょう。ガチ相撲を望むなら、そういう仕組みを作る方が合理的です。

 散々書いてきて何ですが、私は相撲界のこういう気質、嫌いじゃないです。底抜けの呑気さや人の良さって、それこそ日本人の憎めない気質の一つだと思いますから。