公共マナーの悪い人を白眼視しつつ我慢する。しかし、そんなことで状況は改善しません。交渉という名の注意を実践している著者による注意の仕方とノウハウが面白い。もっともらしい通念をひっくり返す面白さも健在。(crossreview)
突然ですが、あなたは他人のマナー違反を注意できますか?
私は酷いマナー違反があってもまず注意できません。おそらく、大多数の方が注意はしないんじゃないでしょうか。
しかし、そうやって注意することなく我慢を重ねることで、我々の中には怒りが蓄積します。そしてそれが爆発したとき、相手にとっては理不尽なまでの激高に映り、相互理解も問題解決もできないという仕儀に陥ります。
そうではなく、自分が不快な思いをしたらその時点で相手に注意しよう、怒りや不快感は小さい内に小出しにしよう、というのが本書の主張です。
怒る・叱るというと相手の反発を買いそうですが、読んでいて「これなら出来そうだな」と思いました。著者が不快感を感じたときにするのは激高や叱責ではなく、"即座に、かつ具体的に、行動を改めるよう求める"「交渉」だからです。
例えば、電車の中でイヤホンの音漏れがしていてうるさいと感じたとします。そのときは、相手に対し「すみませんが、もう少し音量を下げてもらえますか?」とお願いするわけです。普通の人であれば、自分が相手に迷惑をかけていると知れば応じてくれるでしょう。
著者は「交渉」をして上手くいくのがだいたい3割から5割くらいで、2回に1回くらいの割合でシカトされると言っています。ここで面白いのが、実はシカトした人というのは公衆の面前で注意された時点で心にダメージを負っているので、シカトされたときは負けではなく「引き分け」だと考えていることです。確かに、ばつの悪い思いをしたときに人間言い淀むというのはよくある反応で、そこでそれをシカトという形で必死に自己防衛している時点で、それ以上深追いする必要性はありません。逆に、下手に深追いすると相手の反発を招いてしまいます。
日本人というのは、言論の内容と同じくらいかそれ以上に話者の態度や言い方を重要視します。「あの言い方が気にくわん!」というキレ方、けっこう耳にしませんか? 酷い人になると、これ幸いとテメェのことを棚に上げ、延々と言い方や態度についてゴチャゴチャ言ってきたりしますが、事ほど左様に日本人というのは言論内容よりもそれを言われた時の自分の気分を大事にするのです。
こういう日本人の特性に照らしても、相手に対して具体的な行動をお願いするのは上手いやり方だと思います。我慢せず、嫌な思いをしたら、その場でその"行動"を変えるよう申し入れることで、人格的非難の度合いはグッと下がります。著者が「我慢するな」と言うのも、不快感を我慢した分、注意したとき、言葉に感情的な非難が籠もってしまうことからしても妥当です。
本書の後半は、実証的な調査に基づいて通念をひっくり返す、著者の得意とするパターンです。電車マナーについては、電車の中で化粧をする女性は戦前からおり、今と似たようなことが言われていたことや、「ヨーロッパでは電車の中で化粧をしているのは売春婦だけだ」という話が日本発祥の都市伝説であることが明らかにされています。したり顔でもっともらしいことを言う連中が、自分の思い込みだけでいかに適当なことを言っているかを暴いてくれるのが著者の本の読みどころの一つと言えますが、今回もその欲求は十分満たしてくれました。
子供と犬とを引き合いに出しながら体罰について論じた最後の章では、ラストで「道徳は役に立ちません」と言い切っています。これも仰るとおりで、道徳というのは高い公共心と自制心を広く求めるものですから、道徳やマナーといったものを守らない奴にそれを求める方がどうかしている、とさえ言えます。
最後にもう一つ。
著者は「怒りを消す方法」の類の本を否定していましたが、本書と仏教系の「怒りを消す方法」本は、必ずしも排斥しあうものではないように私は思いました。少なくとも私の読んだ本では、不快な思いを他者にされたとき、それによって自分の心を怒りに支配されないように、という趣旨のもので、不快を怒りに転化して溜め込まず、その場で不快の発生源を除去するよう相手に求める(お願いする)という著者の考え方と割りと整合的に感じたんですが…好きなように両方の本のいいとこ取りをしているだけかもしれません。ま、怒りに自分の心が支配されるような状態にさえならなければ、個人的には何でも良いんですけどね。
公共マナーについて、誰がそれを維持していくのかというレベルまで含め実効的に考えていく上でも、日本人の文化・価値観・傾向を知る上でも、また、いかにもな通念が以下にインチキな都市伝説に過ぎないかを暴く痛快さでも、本書は非常に読み応えがありました。読み終わって「マナーの悪い奴ぁいねぇがー!『交渉』してやんべー!」となまはげのような衝動に駆られるかもしれませんが、それはともかく、オススメの一冊です。