2013年7月17日水曜日

[紹介] 井浦秀夫『弁護士のくず』(1巻)

一見分かりやすい事件の中で、不謹慎なことばかり言う弁護士クズ。しかし露悪的なクズだけが固定観念にとらわれず、事件の実態を正しく見抜いている。視点によって、事実の全体像は驚くほど変わるということがわかる。(crossreview

 不謹慎な発言ばかりをし、周囲や依頼人から顰蹙を買う主人公の弁護士・九頭元人。セクハラ問題や離婚問題、殺人事件など、我々が得てして「この問題は○○だ」と安易に判断してしまうところを、クズだけが分かりやすい事件の全体像の小さな違和感を感じ取り、真相に辿り着く。

 ミステリ・サスペンス的な面白さもあるが、それ以上に面白いのは、我々がいかに表層的な事情だけをもって事件をわかった気になっているか、ということ。視点が変わったり、当事者の隠したい思惑を加味して事実を見直すと、それまでAだとしか思えなかったものが今度はBにしか見えなくなる。まるで「アハ!体験」であるが、偏見なくゼロベースでモノを見、そのとき何があって当事者がどんなことを思い感じていたかを具体的に考えることがどれだけ難しいかを教えてくれる。

 しかも、事実というヤツはわかりやすくもなければ美しくもなかったりする。可哀想な被害者という見方は、実は当人をひ弱く哀れと見るかなり傲慢な見方であることも多く、自分にとって都合の悪いことはひた隠しにしようとし、味方であるはずの弁護士に対して腹の中で舌を出していることも。
 人間という生き物は思っている以上に力強いし、その力強さはときに図太く、泥臭くもあるというだけのことだが、「被害者=可哀想=正しい(=美)」みたいな妙な固定観念があると、被害者がその観念にそぐわない面を有しているとわかると、途端に印象が180度変わる、ということが往々にしてあろう。「罪を憎んで人を憎まず」とはよく言ったものであるが、いざ実践しようとなるとそれがなかなか難しい。偏見というヤツは思っている以上に強固なのである。

 どの話について書いてもネタバレになるし、上に書いた話自体が作品の構造をバラしているようなものなのだが、一つだけ紹介させていただく。

■少女A
 繁華街で不良グループとつるんで美人局をやったり、AVに出演したりしていた非行少女・真琴。その真琴を少年院送致から救う白石誠法律事務所の弁護士たち。真琴が保護観察だけで済んだことを事務所が祝う中、クズだけは真琴の性根を見抜いていた。
 大人の説教を全てタテマエだけのきれい事と断じ、そういう大人達を軽蔑する真琴。そんな真琴に対し、クズは次のように言います。
 「ホンネ」なんてコショウみたいなもんだ。
 ヤセガマンの「タテマエ」があってこそ意味があるんだ。
 コショウを山盛りにされて食えって言われたらたまらんだろ?
 おまえはさんざん高いステーキを食わしてもらったんだ。コショウが足らないとか文句言うんじゃねえっ!(79頁)
 そんなものあばいてその人間が分かったつもりなのか?
 便所でウンコしてる姿がそいつの本質なのかよっ!?(80頁)
この下りを読んでいて、私の脳裏にはある人が浮かんだ。その人は、芸能界のゴシップや裏ネタが大好きで、「柔道の○○選手のお父さんはヤクザだ」とか「某スポーツ選手の出している居酒屋のバックにはヤクザがいる」だとか、まぁそういうことを得意げに言うわけである。私自身、そういう話は嫌いではないので(ヲイ!)、そのことを咎め立てしたりするつもりはないし、その資格も無い。ただ、そういう面の知識量だけを以て、「世の中の奴らはわかってない。俺はその人間の本質を誰よりもわかっているんだ」というような顔をしているのは、正直どうかと思わされた。芸能界や格闘技系の業界の裏ネタが好きだということについては特に止めはしないが、そういう(自身で取材したわけでもない伝聞の)知識だけを以て、業界の事情通ぶってドヤ顔するのは、端から見ていてこれほどみっともない話はない。
 長々と書いてきたが、「タテマエばかりの大人は嫌いだ!」という中二病的な叫びというのは、実は一過性のものではなく、人によっては大人になってもこじらせているんじゃないか…。この話を読んでそんなことを思わされた。

 マンガはちょっと…という方は、トヨエツと伊藤英明主演でドラマ化されているので、そっちを見るのでもOK。オススメです。