2013年5月1日水曜日

[紹介] みなもと太郎『風雲児たち』(9巻)

みなもと太郎『風雲児たち』(9巻)
田沼意次失脚。天明大飢饉の傷痕癒えぬ折、救済政策そっちのけで田沼への報復に熱中する愚劣な御三卿と松平定信。そして江戸では打ちこわしが頻発。それでも松平定信は熱狂を以て迎えられた。ポピュリズムの根は深い。(crossreview

 アリューシャン列島のアムチトカ島で四年もの歳月を過ごすことになった大黒屋光太夫たち。次々と仲間が死んでいく中、我が身に降りかかる運命に抗うかのように熱心にロシア語を学び、何でも記録していく光太夫。この先も光太夫一行の苦難の道のりは続くことになるが、自分の境遇に絶望することなく、その場その場で自分のできることを全力でやる光太夫の努力は、報われる日が来るんだけど、それはまだまだ先の巻の話。

 さて、本巻のメインは田沼失脚である。
 将軍家治の死去と同時に、これまで田沼意次に不満を抱いていた御三卿などの勢力が一気に報復を開始する。田沼を閑職に追いやり、田沼派の人間はどんどん追放されてゆく。田沼が行った政治は全て悪とされ、開明的な政治は全てご破算とされた。蝦夷探索や北方警護もすべて中止。両国橋の手前薬研堀の埋立地すら「田沼時代に作られたものだから」と屋台もろとも壊された。この「田沼憎し」は当然当人にも及んでいるわけで、領地である遠州相良を改易没収、あまつさえ居城だった相良城まで潰してしまう。
 権力者が私怨を晴らすために権力を振るうことがどれだけおぞましいことか、この一事を見ても明らかであるが、これが愚劣の極みとしかいいようが無いのは、これが先年からの天明の大飢饉のさなかに血道を上げて行われたということである。田沼は何とか江戸に米を入れて米価高騰を防いでいたが、田沼失脚により救済政策は全てストップ。米屋が好き放題するようになり米価が高騰しているのに、御三卿や松平定信等は政局と田沼への報復しかしておらず、庶民の生活は日を追って苦しくなるばかり。

 そして遂に将軍のお膝元である江戸で打ちこわしが頻発することになる。打ちこわしというのは、諸外国に見られるような暴徒となってそこいら中を壊して回るのとは全く違い、暴利を貪る米屋・質屋などだけをピンポイントで襲い、略奪等は一切しないという非常に統率の取れた「暴動」なのである。どさくさに紛れて悪事を働くこともなく、人間にはいっさい危害を加えず、米屋金を盗む者がいればみんなでこれを止め、女子供を参加させず、目指す家以外には隣近所に迷惑をかけず、打ち壊す前に火の用心を済ませて心置きなく打ちこわし始める。「誠に丁寧、礼儀正しく狼藉仕り候…」と打ちこわしを目撃した役人があきれ顔で書き留めてあるくらい秩序だった「暴動」は、遂に一件の火事も、一人の死者も出さずに九千件以上も行われたそうである。
 日本は災害時でも暴動などの無秩序状態が起こらず整然としており、それが世界から驚嘆を以て見られている。が、打ちこわしという暴動からしてここまで整然と秩序だって厳格に行われるところを見ると、江戸時代以来の筋金入りの「整然さ」なのかもしれないと思わされた。現代のデモなどを見ても世界のそれと比較した時にちょっと毛色が違うように思われるのも、もしかしたらこういう気質が影響しているのかも知れない。

 田沼が失脚し、老中首座に着いた松平定信は熱狂を以て迎えられた。彼らの熱狂は、倹約第一・陽明学狂い・庶民締めつけの政策によってやがて醒めてゆくことになる。「結果」を知っている私が当時の庶民を愚かだと見るのは彼らに対する冒涜でしかないが、それでも彼らの中にポピュリズムを見ないわけにはいかない。

 胸が締め付けられるような話から、思いっきり悩まされる話までが詰まった巻である。