2012年11月19日月曜日

[紹介] 仲正昌樹『知識だけあるバカになるな!』

仲正昌樹『知識だけあるバカになるな!』
人文学系に学問に興味を持った人を対象に「学問(人文学系)の思考法」を入門の入門から説明した本。地に足の付いたレベルから一番骨太な基礎を教えてくれている。下手な思考術系の本を読むくらいなら本書を読むべき。(crossreview

 大学教授である著者が、人文学系の学問に興味を持った人(メインは大学1年生か)を対象に「学問への手引き」「人文学系の思考法」などの"入門の入門"を説明した本。
 最近はかつてないほど「頭が良くなる本」「思考術本」が溢れかえっているが、下手な本を読むくらいなら本書を読むべき。地に足の付いたレベルから、骨太な"学問の考え方・作法"を教えてくれている。

 「第1章 疑うことから知の方法は始まるが、「正しく疑う」ことの難しさについて」は、学問に限らずモノを考える上で是非とも知っておいてほしいことである。
 本書には、大学の授業で「常識を疑ってみましょう」と先生に言われると、すぐに「そういう先生の言葉を僕(私)は疑います」と答える学生の話が出てくる。一見してつまらない返しだと思うが、こういう鸚鵡返しの何が問題かについて、「私」自身が疑うという姿勢を放棄することに繋がりやすいと指摘されていたのはなるほどと思った。つまり、こういう安直な返しは本当に教師の教えを疑っているのではなく、単に相対化して受け入れ、自分で吟味することを拒否しているだけなのである。著者はこれを、疑いながら考える責任を相手に転嫁してしまう、と言っているが、これは何にでも文句を言い反対するだけの人にもそのまま当てはまることである。
 ただ、気をつけなければいけないのは、「代案を出せ」と安易に言うのもこの裏返しであるということだ。代案を出させることは主体的にモノを考えさせる点で大事なことではあるが、「代案を出せ」も往々にして自説が固まっていない人間による批判封殺として用いられる事がある。大事なのは「考える責任を引き受ける」ということであり、これは自分の周囲を見渡してもなかなかに難しいことだと思う。とすると、大学で学ぶべき重要なことは、専門知識よりもまずこういう知的態度なのではないだろうか。

 第3章では、外国語を学ぶ意義について触れられている。
 価値観や発想・思考の枠組みは、かなりの部分が言語によって規定されている。そこで、言語体系の違う外国語を学ぶことで、自己の価値観や発想・思考枠組みを相対化して客観的に理解することができる。このことにより、自己の発想・思考の偏りを自覚し、より広い視野と発想・思考を可能にする。それが外国語を学ぶ重要な意義の一つであると指摘されている。
 私もこれに同意で、「外国人と会話できる能力」を重視するのは学校教育の目的としては違うと思っている。しかも、最近ではネイティブの感覚・発想を重視した英文法解説が出てきているが、現在でも多数を占める英文法は相変わらず文例とルールの提示だけで、「なぜそうなっているのか?」という説明がないものが多い。これでは語学が単なる暗記物になってしまい、思考枠組みの相対化と自国語の省察どころか、当の目的である会話力の習得すらまともに習得できないと思う。
 やや本書の指摘から外れてしまったが、外国語を学ぶ意義を考え直すという点からも、現在の英語教育のあり方は再考されていい、と本書を読みながら色々考えさせられた。

 知の技法の一番基礎的な部分を教えてくれる本書は、モノの考え方に興味のある全ての人にオススメです。