studygift問題について「評価の換金が難しい」というコメントがあったようですが、この言い方は注目と評判(評価)の混同が見られます。
概念整理をしておくと、注目と評価と評判はそれぞれ違います。
まず、注目は、人に対象として認識・認知されたかどうかだけを問題とする概念です。
ですから、「目立つか目立たないか」「派手か地味か」が指標となります。
次に、評価とは、ある人がある対象の特性ないし属性について与えた好ましさの査定です。
評価は、具体的な取引行為など直接付き合いのある人間か、ある人間の作品に直接触れた人間だけが下せるもので、キーワードは「具体的な対象とセットであること」と「相手との直接性」です。
これに対し「評判」は、ある人が下した評価を第三者が情報として受け取ったものを言います。
要するに評価の伝聞(評価の流通・一人歩き)ですね。
※ 評価と評判の概念については、山岸俊男・吉開範章『ネット評判社会』を参考にしました。同書もご参照下さい。注目と評価の関係は、どんなに優秀な商品も、消費者に知られ、購入・使用されなければ評価のされようがないという意味で、広告と商品の関係に似ていると言えなくもありません。
そして、他人の耳目を集めて稼いだ注目値は、この時点で評価に変わります。
ここで、集めた注目をプラスの評価に変えるだけの内実がないと、かき集めた注目はそのままマイナス評価となって蓄積することになります。
評価経済絡みの議論でとかく気になるのは、「評価」という言葉がマジックワード(バズワード)化し、具体的内容が検討されないことです。
平たく言いますと、何とでも解釈できる語を使って何か言った気になってるのではないでしょうかか?ということです。
studygift問題で言えば、換金対象となる「評価」とは具体的に何だったのかを考えなければなりません。
では、元女子大生の何が奨学支援を受ける「評価」だったのか?
…何も見当たりませんよね。
就学支援という場において価値があるとされる「評価」は「学習意欲・姿勢」と「学習能力」ですが、毎日空の写真をアップしていただけで、旅行に遊びで成績が落ち、留年して奨学金を打ち切られたという事情は、就学支援にとってのマイナス評価にはなりえても、就学支援を得る(=換金する)評価とはなり得ません。
彼女がかき集めたのはあくまで注目にすぎません。
彼女は、見た目と性と若さを最大限武器にし、未開サービスだったGoogle+の黎明期にフォロワーという「注目」値を稼いだだけに過ぎません。それは、もし彼女が鉄人・衣笠似だった場合、同じだけのフォロワーが稼げたか? 同じ額の就学支援金を集めることが出来たか、と考えれば明らかです。
ですから、「評価の換金が難しい」という問題設定は、実態に即して言えば誤りだということになります。
評価経済という語についても、少し述べておきたいと思います。
個人的には、「評価経済」という語は使うべきではないと最近思うようになりました。
我々は貨幣経済社会にどっぷり漬かっています。貨幣経済のパラダイムにいる以上、評価価値と貨幣価値の切り分けはかなり困難であり、「評価経済」という言葉を使ってしまうとどうしても「経済」の語(概念)に引っ張られてしまいます。
実際、評価経済について語る人たちを見ていても、セコいマネタイズ話に堕ちていることがほとんどです。
評判・評価について考えるときに、「経済」という語をつけることで小銭稼ぎの発想しか出ないのなら、「評価経済」という語はミスリーディングで不適切な名付けということになります。
評判・評価について考えるなら、素直に「評判社会」「評価社会」とでもした方が、余計な混乱を生まないだけマシではないでしょうか。