著者のファンなので即買いした一冊。
書名は「反論する技術」となっていますが、本書の射程はもう少し広く、議論を有利に進める方法が紹介されています。
個人的な印象としては、香西秀信『レトリックと詭弁』(以下「香西本」とします)から少し毒気を抜き、その分反論と議論の進め方のテクニックについて入門~エッセンスを凝縮した感じ、です。
目次から反論するための6つの技術を紹介します。
1.意見ではなく質問で返せ1の「意見ではなく質問で返せ」というのは、香西本が前半で数章を割いて力説した「問いを制する者は議論を制する」に通じます。
2.不利になったら話を変えろ
3.まともに答えずに様子をみろ
4.おかしな点を指摘してプレッシャーを与えろ
5.自分の考えの良さを伝えろ
6.証拠を示して納得させろ
議論をするとき、圧倒的に有利なのは問う側です。なぜなら、問いを立てることによって、いかようにも自分の有利な議論を設定できるからです。
これに対し、相手はどこから攻撃されるかわからない「全方向の問い」に備えることを余儀なくされます。
問う側を攻撃側、答える側の守備側と考えれば、守備側がいかに不利かがおわかりいただけるでしょう。
しかも、質問をすることで相手に応答責任(答えさせる義務)を発生させることもできます。 これは裁判における立証責任の考え方にも通じます。
立証責任(証明責任)の本来の意義は、裁判所がある主要事実の存否について確定できないとき(真偽不明・ノンリケット)に、その事実をないものとして扱い、その結果、その事実を要件とする法律効果の発生または不発生の認められないことによる一方当事者の不利益のことをいいます。ざっくり言うと、「事実があるかないかわからんときにババかぶる方」とご理解下さい。
この立証責任の考え方は、法廷弁論の技術から議論術に逆輸入されたそうです(とどこかで読みました)。
問う側に回って相手に答えさせるということは、自分が好き勝手に攻撃できる有利なポジションを得るというだけでなく、相手に答えさせることを通じて説明責任をも負わせることができる点が強力なのです。
相手の答えのおかしいところに更にツッコミを入れながら質問を重ねるうちに、相手がいつの間にか自分の意見の正しさを証明させられる責任を負わされ、それに失敗すると相手のマイナスになる。これが議論における立証責任です。
更に言うと、問いにはどう答えても不利になるハメ手のような問いがあります。
これが「多問の虚偽」と呼ばれるもので、ベタな例を挙げると、「あなたはもう奥さんを殴っていないのかい?」という問いがこれに当たります。
この問いに対しては、Yes,Noいずれで答えてもかつて自分が妻に暴力を振るっていた事実を認めてしまうことになります。
問いを設定するというのは、これくらい圧倒的に優位なポジションを占めることができるのです。
本書が問いを以て返すことを第一に挙げているのは、基本にして奥義だと言えます。
そして、本書の中では、定義や問題点を確認するテクニックが繰り返し登場します。
これも議論においては大事なことです。後者の問題点設定については問いの話でおわかりいただけたと思いますが、定義も議論では大事です。
香西先生の他の本で紹介されているのですが、実は定義には二種類あります。
辞書的に言葉を定義するやり方と、もう一つ「説得的定義」という考え方です。
説得的定義とは、定義の意味を辞書的な意味から離れて実質的な意味づけを加味し、(自分の有利なように)定義し直すというものをいいます。
これ、実は法解釈でよくやられていることでして、例えば条文には「時効」と書いてあるけれど、当該規定の制度趣旨(なぜそのような規定を置いたのかという理由)や他の規定との比較、時効と文字通り解釈することの不都合性などを考えて、「除斥期間」という別の概念に読み替えてしまう、ということもあります。さすがに読み替えるのはかなりドラスティックですが、曖昧な文言の意味を実質化するときによく使われます。
抽象的な言葉を、具体的に定義し直さずに話していても、議論はいつまで経ってもフワフワしたままです。そういう意味で定義の確認というのは大切な作業と言えます。
が、この定義というのはズルい使い方をすると印象操作にも使えます。
本書にも言及されていましたが、「環境問題」と問題設定(定義)してしまったら、環境が全く破壊されていないという発想が極めて出にくくなります。自分の問題意識を補強する定義を使うことで、思考・発想そのものにバイアスをかけるわけです。
問題を整理したり定義し直したりすることは、議論を自分に有利に運ぶ上で極めて重要で有効な手段だと言えます。
あと、本書の指摘で重要なのは、「不利になったら話題を変えろ」や「まともに答えず様子をみろ」など、馬鹿正直に返答するだけが能じゃないことを明確に示していることです。
議論に負けるときというのは、たいてい余計なことを自分でしゃべってしまい、そこを突かれるということが往々にしてあります。人間、意外に出来ないのがこの「余計な事を話さない」ですが、この点はさすが弁護士です。法廷ではうっかり話してしまったことにも自白が成立する場合がありますから、この辺の感覚はシビアです。
それ以前に、問われている以上、返答しなければならないという直線的な思考に対し、他の選択肢を与えてくれる点でも有益です。
「よくわからないけど答えなきゃいけなさそうだからとりあえず答えておこう、というのは相手方に対して失礼であり、余計な揉め事を生む可能性もあり双方にとってマイナスなことである」という意識は持っておいていいと思います。
本書は、ものすごく読みやすいので、ややもすると当たり前のことしか書いていないようにも思われるかもしれません。
しかし、「弁護士だけが知っている」と冠しているのは伊達じゃありません。
本書の記述には、法廷での丁々発止の議論の技術のエッセンスが気づかないくらい自然に盛り込まれています。
一見すると一つ一つはバラバラでその場限りのテクニックのように思えるかもしれません。
が、その全てが、実は相手に立証責任の負担をおっかぶせ、自分が有利に攻められる立場に立つようにし、自分のミスを極力無くすことを志向しているのです。
ちょっと香西本に絡めて書いてしまったので、どぎつい内容に思われたかもしれませんが(笑)、本書の内容はきわめて真っ当な議論術です。
議論で優位に立とうとギラギラする人よりも、そういうギラギラした強引な奴に好き勝手に議論を進められないための護身用として必読だと思います。