梅棹忠夫については、『知的生産の技術』(岩波新書)しか読んだことがありませんでした。
しかも、そこに書かれていた京大式カードや、ローマ字・ひらがなタイプライターを使いたいがために漢字を使用しない方向で文章をお書きになっていることに、正直あまり良い評価をしていませんでした。
が、今回の展示を見て、僕の中の梅棹評価が180度転換しました。
今あるライフハック系のテクニックの原型って、『知的生産の技術』にほとんど書いてあるんです。
いつだったか日垣隆さんが「思考法についての原型はデカルトの『方法序説』で言い尽くされている」と指摘していたんですが、その情報整理・知的生産技術版は梅棹忠夫だといって過言ではありません。
展示は、学生時代からのフィールドワークに始まり、モンゴル・アフリカ、「中洋」とアジアの研究、そして日本研究と比較文明論、そこから情報産業論に文化開発と研究経営、そして知的生産の技術、と多岐にわたっています。
著作も膨大ですが、その膨大な著作を支えた資料やカード・ファイルは更に膨大です。これだけの研究を発表しようと思ったら、そりゃ手書きじゃとても間に合わないだろう、と思います。
だからこその特注の200字原稿(書き直しの簡易化)だったり、かな文字タイプライター(文章の大量生産)だったりしたんだな、ということがわかりました。ローマ字、かな文字については他にも世界を視野に入れた積極的な意味づけがあるのですが、展示を見る中で、梅棹のそういう考え方に触れることができました。
例えば、かな文字タイプライターは、車で西アジアから東南アジアまで横断するとき、膝に乗せてずっと打ってらっしゃったそうです。これ、ラップトップコンピュータの原型ですよね。隣でタカシゲさんが「今やったら絶対Let's Noteを抱えて原稿書いてはったよな」と言ってたんですが、日本で最初にクラウド仕事術・ノマド仕事術を実践してた人と言えそうです。
そういう目で見ると、『知的生産の技術』って、見事に現代的なんですよね。京大式カード化って、「分類より検索」を重視してるんです(by.タカシゲさん)。
断片化した情報・要素の組み合わせによる「知的生産」は川喜田二郎の「KJ法」にも通じるものですが、今風に言えば「コラボ」でしょうか。
その他、特筆すべきは「こざね法」です。これは名刺大のカードに書いた一文やメモを、ホッチキスで留めてつなぎ、文章の骨組みにするという方法です。これ、パーツから全体をくみ上げていく点ではKJ法的とも言えるんですが、ワープロで書けるところから書いていくって発想にも近いんですよね。
そういう目で見ると、『知的生産の技術』で提示されていることって、本質的な部分ではビックリするくらい古びていなくて、むしろ「やっと時代(テクノロジー)が梅棹に追いついた!」って感じです。
今回は、梅棹の業績の内「知的生産」の部分に絞って書きましたが、その他にも脳にビンビン刺激を受けました。実際にモノがあり、手にとれるレプリカが置いてあると、『知的生産の技術』を読んだときには全くわからなかったことがいっぱいわかりました。
「情報産業論」は『評価経済社会』との関連もありそうですし、フィールドワークのノートやスケッチもスマートノートに応用できそうなアイデアの宝庫で、展示物の一々に知的興奮を覚え、クタクタになりました(笑)。
博物館って、身も蓋もない言い方をすれば「モノが並んでいるだけ」なんですが、こういう「わかってる人」が作ってるとこれだけ面白いモノになるんだ! ということを身を以て知ることができました。