戦国時代に関しては幕末と並んでマニアの多いところだと思います。
そこにエラそうに講釈をぶつ知識も技量も私にはありませんので、「何となく歴史好きな人が史実的なモノに触れ、ちょっとインテリっぽく楽しめるエンターテイメント作品の紹介」をコンセプトに、今回はあれこれ紹介していこうと思います。
まずは、工藤かずや・池上遼一『信長』全5巻(MF文庫)です。
呉智英さんがダヴィンチの連載で褒めてたので、文庫化を機に購入。
最新の史料を駆使した信長マンガだと聞いていましたが…裸の男を斜め下からあおる例の構図に爆笑。登場人物が全員左の方を向いている『魁!!クロマティ高校』でお馴染みの絶望的な構図センスのなさばかりに目がいってしまいました。
信長マンガとしては、個人的には全く琴線に触れませんでした(ごめんなさい)。
でも、リアルタイムで読んでいた人の意見では、クールで理知的な信長像というのはかなり斬新だったそうです。
こういうのはタイミングと出合いですから、そういう読後感を抱けなかったのはちょっと残念ですね。
信長については、藤本正行『信長の戦争』(講談社学術文庫)がオススメです。
学者さんの書いた本ですし、かなり文体は固いですが、太田牛一の『信長公記』を再評価しながら、桶狭間も墨俣築城も嘘っぱちという衝撃の新事実を論じていくので、興味のある方は是非。
あと、レトリシャンとしての信長を堪能したい方は香西秀信『論争と「詭弁」』(丸善ライブラリー)の第三章をどうぞ。
父・信秀の死に伴い、祈祷させた坊主達を殺した(正確には死に追いやった)エピソードも紹介されているのですが、これにしても「自分たちの言ってたことに責任を取らせる」という観点から見たらものすごく同意できてしまいます。
坊主が殺されたなどと言う眼前の事象に惑わされ、信長のロジックの本質を見誤ってはいけない、自分の主張・信仰に命を懸けるとはこういうことか…なんか『賭博黙示録カイジ』の焼き土下座みたいで爆笑しました。
安土宗論が本題だったんですが、ここでも信長だけは「ディベート」として見ています。デウスがいる・いないで論争していたのを見る信長の目が「双方のロジックにしか興味なし」で、他の人達と全然レベルが違ってて格好良すぎです。
僕はこれを読んで以来、信長という人は非常にロジカルな人間だったんだ、と思うようになりました。
いつの間にか活字に傾いてしまったので、戦国時代を舞台にしたマンガにも触れておきます。
今現在熱いのは二作。
まずは宮下英樹『センゴク天正記』(講談社ヤンマガKC)と『センゴク外伝 桶狭間戦記』全5巻(講談社KCDX)です。
前シリーズの『センゴク』全15巻(講談社ヤンマガKC)は時代考証をしっかりしたリアルな合戦マンガとして話題になり、著者の自説なんかも語られていて、トリビアルな読み方もできる面白いセンゴクマンガでした。名前の呼び方一つとっても、信長は秀吉を「禿鼠」と呼びますし、明智光秀は「金柑頭」、官職や役職を持っている人は官職名・役職名で呼ぶなど、ディテールの面でかなりリアルを追求しています。
が、主人公・仙石権兵衛秀久とヒロイン・お蝶とのラブロマンスは正直余計でした。
なぜなら、そこだけ現在の恋愛観がモロに反映された描き方になっていて、リアル合戦絵巻で売っていることが台無しになったからです。その他の、例えば戦国武将のエキセントリックなデフォルメなどは『蒼天航路』に通じる「マンガとしての面白さ」として許容できますが、あのラブロマンスだけはどうにも納得がいきませんでした。
これは多分、「宇宙船サジタリウス」の法則の逆現象だと思ってます。
「宇宙船サジタリウス」の法則とは、リアルなタッチでリアルな話をやると「ふーん」で終わるんだけど、子供っぽい絵でリアルなことをするとマニアウケする、というものです(勢いで勝手に命名・定義しちゃいました)。
攻殻機動隊の世界観をほのぼのタッチに落とし込んだ「電脳コイル」について、このことを説明されていたように記憶しています。
ちょうどその逆なのが『センゴク』なんです。せっかくリアルで押している中に、現代のラブロマンスを入れちゃうこと一気にマニア醒めしてしまうというのでしょうか。
つまり、一見適当そうな作品の中に、一点だけこだわりがあることで一気にリアリティがあるように見える反対で、リアルを全面に押し出している作品の一点にウソっぽいのが混ざっていると全体が一気にウソっぽく感じちゃう、という感じなんです(範馬勇次郎風に言うと「上等な料理にハチミツをぶちまけるが如き思想」といったところ?)。
この点、リアル歴史物をやる人達は、A・トフラーの「引き返せない楔」を心に打ち込んでおいて欲しいものです。パラダイムシフトが起きちゃったら、僕らはどうやっても昔の人の考え方なんて理解できなくなっちゃう、という一点に気を遣いきれていないのが歴史物を書く人全体の問題だと僕は思っています(ただ、これもやり過ぎると受け手を置き去りにしちゃうので難しいですが…)。
まぁ、そのラブロマンスも新シリーズでは一掃されたようですので、これからは安心してリアル合戦絵巻に没頭できそうです。
もう一つは山田芳裕『へうげもの』(講談社モーニングKC)です。
主人公が織部焼の創始者で茶人としても名高い数奇者・古田織部という時点でもう「やられた!」ですが、「物欲」と「業」をキーワードに、侘び・さび・数奇の世界を今までになかった切り口で描く快作です。「BSマンガ夜話」でも全員がべた褒めでした。
言いたいことはそっちで大体言われているので、興味のある方はYouTubeなりで見てもらった方が早いんですが、このマンガの一番凄いところは、侘び数奇の「フィーリング」を読者に伝えている所です。
この点(マンガ夜話でも言われてましたが)、例えば『神の雫』というワインマンガで伝えているのは、レトリックを駆使していても結局は「知識」やノウハウに終始してしまいます。だから「美味しそう。俺もワインはデキャンタールして”開かせてから”飲んでみようかな」とは思わせても、ワインの味・香り・感覚・センスそのものは伝えられていないと言わざるを得ません。
しかし、『へうげもの』は侘び数奇の感覚・センスを伝えているので、実生活で茶器や和室を見ても、なんとなく「あ、ここがいい」「ここをもうちょっとこうすれば」とか色々思うようになるんです、不思議なことに。
ギャグの要素も盛りだくさんなんですが、デフォルメされたキャラの言動は不思議と説得力を生んでいます。絶対にあり得ない描写なんですが、読んでいると「ああ、きっとこの人はこういう事を思い、考えてたんだろうなぁ」と変に納得させられる部分があります。
島本和彦先生がいつかインタビューで言ってた、「史実ではなく、歴史の『真実』を描く歴史マンガを描きたい」という感覚に通じるものがあるのかな、と思います。
『センゴク』の対称として『へうげもの』を見ると、まさに「宇宙船サジタリウス」の法則発動、といったところだと思います。
以上、つらつらと述べてきましたが、他にもオススメ本がございましたら、ライトな戦国ファンの私目に是非ともお教え下さいませ。