評論家の呉智英はかつてその著書の中で、
「どうして戦争の悲惨さを語り継ごうというのなら、かつて大量の人が戦で死んだ関ヶ原の合戦の悲惨さを語り継がないのか?」
と疑義を呈されていました。
が、あるんですよ、実は!
話は20年前に遡る。
小学校の修学旅行で訪れた「関ヶ原ウォーランド」。
当時から歴史が大好きだった僕が、歴史好きにはたまらないはずの施設を訪れたというのに、中で自分が何をしていたのかほとんど覚えていない。
一つだけ覚えているのが、家康の本陣で首実検の首の向きを変えたことだ。
家康の前に首があったのだが、その首がこちら、つまり家康のコンクリート像にそっぽ向く形で置かれていた。
友人のいっしゃんと「首実検って大将に首見せなあかんから、向きは逆や」などと言いながら、コンクリート製の生首を180度回した記憶はある。
が、今回小学校の卒業アルバムの文集を見て、それが記憶違いであったことを知る。
首のことを言い出したのも、首を回したのもいっしゃんだったようだ。
それにしても、である。
小学校6年生の私は、頭がどうかしていたとしか思えない。
文集をみて愕然としたのだが、作文の横にある挿絵にはそのときの様子、つまり生首を回すいっしゃんが描かれていたのだ。
幸い、今日まで私はバラバラ殺人をせずに生きてこられたが、もしそのような罪科でパクられていたら、この作文はきっと同窓生の手を介してマスコミに公表され、「バラバラ殺人鬼、幼少よりの歪んだ衝動!」みたいな煽り文句と共に大スポの一面を飾っていたことだろう。つくづくバラバラ殺人に手を染めなくて良かったと胸をなで下ろす。
それはそうとして、それにしても、である。
こんなのを挿絵に描く方も描く方だが、正直、載せる方も載せる方だと思う。担任は何を考えていたんだろう?
話は一気に飛ぶ。
あれは去年だったか一昨年だったか、タモリ倶楽部で浅野祥雲特集というのをやっていた。
知る人ぞ知るコンクリート塑像作家という触れ込みで、みうらじゅんさんと安斎肇さんが嬉々として紹介しているのを、「浅野祥雲って誰?」と思いながら何となく見ていた。
が、浅野祥雲先生の作品を見て愕然とした。
「あ、関ヶ原ウォーランドの像造った人か!!!」
それから同番組を食い入るように見たのは言うまでもない。
そして話は今から二三ヶ月前に。
近頃、精力的にオフ会をやっている友人・ナオトさんにこの話をしたところ、
「そこは行かねばなるまい!」
と妙な食いつきを見せた。
夜のテンションという奴は恐ろしいもので、
「関ヶ原ウォーランドには武田信玄の亡霊もいるんっすよ!」
「何で武田信玄が居るのよ!」
「”戦争イクナイ””ノーモア関ヶ原じゃ”って叫んでるんです(笑)」
「ってか、武田信玄は関ヶ原のずっと前に死んでね?」
「だから亡霊なんですって!」
「いや、亡霊云々言い出したら、ウォーランドにいる戦国武将は全部亡霊だろうが!」
「あ…」
などと一緒になって盛り上がっているうちに、皇紀二六七一年十一月六日に関ヶ原ウォーランドを訪れる段取りが決まっていた。
…ふぅ、疲れた。
慣れない文体で書くもんじゃないですね。
こっからは指の向くまま書いていきたいと思います。
平成23年11月6日(日)午後2時。
我々一行は関ヶ原ウォーランドの入り口前に立っていました。
あいにくの雨模様。
「ホンマに行くの?」
タカシゲさんの額にはちびまる子ちゃんで見たような青い縦線が入っている。前日東京で所用があり、その帰路に合流したので疲れが溜まっているからだろうけど、決してそれだけが理由でないことも伝わってくる。何で来たんだよ!(笑)
実は前日、関ヶ原ウォーランドの館長にツイッターで訪れる旨のリプライを飛ばしてたんです。そしてお返事をいただきました。
@warland_skghr 館長@関ケ原ウォーランド
@TomiyaDaisuke 20年ぶりとは!有難うございまするー!お天気が心配です、暖かくしてお越し下さいね(´ `) わたくしめはお隣滋賀県にて行われる”三成祭”に参列の為ご挨拶できないのが残念ですが、どうぞごゆるりとお楽しみくださいませっ
思わず、『蒼天航路』の官渡の戦いで、車に満載された首を見た袁紹のセリフが口から飛び出しました。
…気を取り直して先に進みます。
入り口を入ってすぐのところに、コンクリート製の馬が置いてありました。
なかなか良くできてるな、と近づくと、鞍に何やら黄色いモノが…
よく見ると、土手っ腹にテプラの親玉みたいなのでこう書いてありました。
「乗馬厳禁!乗れる馬は10m先に⇒⇒⇒」
何なんだよ、乗れる馬って…
…気を取り直して先に進みます。
とりあえず中に入ると順路案内の看板が。
看板に何やら注意書きが貼ってある。
御参陣の皆様へ
ウォーランドに集いし武将たちは屈強なもののふですがその肢体は非常に繊細ですのでお手を触れる、物を持たせるなどの行為はどうかお控え下さい!
各武将に末永く陣取ってもらうための取り決めにございます。皆様のご理解に感謝いたします。
関ヶ原ウォーランド 館長
ここがどういうところか分かっていただけましたでしょうか?
…気を取り直して先へ進みます。
確かに、10m先に乗れる馬がありました。
…気を取り直して先へ進みます。
確かに、10m先に乗れる馬がありました。
早速アカネさんがよじのぼります。
が、馬に乗るための足場は、単に脚立が立てかけてあるだけ。
雨上がりで濡れていることもあり、下は緩んだ土。
一歩間違えば動かない馬から落馬しそうな危険性を孕んでいました。
(もうちょっと安全に気を配って欲しいですが…いや、やっぱり敢えてこのままでお願いします!)
続いて私も騎乗。
テンションダダ上がりです。
続いて、ユミさん。
「傘、要ります?」
「あ、はい、是非!」
と笑顔で僕の傘を受け取ったユミさんのこのポーズ。
すっげーサマになってるよなぁ。
そして最後にナオトさんが騎乗。
さすが一口馬主、乗り方が違う!
「ナオトさん、もうその馬の馬主になったらええやん」
とタカシゲさんがつぶやいたのが印象的でした。
そうそう、持ち馬のオープン馬復帰、おめでとうございます!
タカシゲさんの縦線をよそに、入り口の馬で10分以上盛り上がった後、我々はいよいよ中に入っていきます。
ちょうど馬の道を挟んだ反対側が南宮山。毛利の軍が布陣していたのですが、山の下り口に陣取って弁当を使ってた吉川家に栓をされてしまい、ついに戦争ができなかったのが再現されているようです。
そして、これが栓をした人。
山から下りられずに関ヶ原が終わった人。
誰かが、
「あ、弁慶!」
って言ってましたけど、弁慶は平安末期の人ですよ!
ちなみにこれ、安国寺恵瓊です。
しばらく進むと、山の上にぽつんとポーズを取る像が。
五奉行の一人、長束正家でした。
と、突然目の前に池があり、竜と女の人が。
なんだコレ? と思って注意書きの立て札を読みましたが、サッパリ意味が分かりません。
(この美女と大蛇は関ヶ原合戦と関係ありません)
って、じゃあなんでここに配置してんの!?
今イチ納得いかないと思いながら歩いていると、更に納得いかないものが。
これ、なんぼ何でも可哀想ですよ。
ってか、園内の植物の手入れはちゃんとやろうよ!(笑)
家康の本陣を目指す我々の前に、案内板が現れました。
なかなかないですよね、首実検場の場所に誘導する案内板って。
で、ついに小学校の修学旅行以来の家康本陣に到着。
注目の首の向きですが…ちゃんとなってました。
懐かしいなぁ~、と回り込んだ僕はその場で一瞬固まってしまいました。
え、こんなに怖かったっけ…?
…気を取り直して、小学校の頃のままに記念写真を。
そうそう、このときタカシゲさんに、
「ダイスケ、看板に傘立てかけるなよ…」
と叱られたんでしたっけ…orz
本陣でも植物の手入れに疑義を呈したくなるものがありました。
何や、君らはシャイなのか!?
しばらく行くと、生首を持った人といきなり遭遇しました。
ビックリして振り返ると後ろには生首を担いだ人たちが…
ここら辺りで急にタカシゲさんが壊れ出しました。
顔の縦線を吹き飛ばし、
「ほら! 俺が身体になる!」
と逆スイミーのようなことを言ったかと思うと、こんな感じになりました↓
少し歩いた先に、居ました。
武田信玄の亡霊です!
この武田信玄、多分いっぱい発注が来たから浅野祥雲先生がサービスで作ったんでしょうか。
それとも、武田信玄を作ってから、
「あ、しまった! 武田信玄は関ヶ原にいねーじゃん!」
ってお気づきになられたのか…今となっては「真相は藪の中」です。
生首の身体になってからはじけちゃったタカシゲさん、早速武田信玄と友達になってました。
せっかくなので、僕は川中島を再現してきました。
(※傘は軍配に当てていません!)
ちょうど車で関ヶ原ウォーランドが視野に入る所で真っ先に目に入る建物があります。
それが「にんにん城」。
「関ヶ原に城なんてねーでしょ?」
「ってか、関ヶ原で忍者って言われてもなぁ…」
「いや、それ以前に『にんにん城』という名前に突っ込もうよ!」
関ヶ原ウォーランドに入る前から我々の心をざわつかせてくれたにんにん城。
名前の響きだけで舐めてはいけません。
名だたる武将と同格扱い。
これだけでもにんにん城の凄さがわかろうというもんです。
そして、これがにんにん城だ!
二階にはちゃんと忍者も潜んでるゼ!
大の大人8人が、吸い込まれるようににんにん城へ…
(サザエさんのエンディングを遅くし、ドナドナのテイストを加味した仕上がりでした)
中には色々ギミックがあったのですが、例えばコレ。
?と言われんでも、まぁ、わかりますわな。
こういうことです。
他のギミックは訪れてからのお楽しみということで。
あ、もう一個だけ紹介すると、床の一画がギーギー言いながらたわんでたのが一番スリリングで面白かったゼ!
にんにん城ですっかり童心に返ってしまった一行は、誘導に従い合戦場に。
こうやって改めてみるとものすごい案内板だな、これ。
合戦場では、だだっ広い空き地のあちこちで組んずほぐれつの戦いが繰り広げられています。
ちなみに、手前の赤い騎馬武者は「井伊の赤備え」でおなじみ、井伊直政です。
こうして見ていただくと分かると思うんですが、思いの外色々なポージングがなされてるんですよ。
足上げて斬りかかる像なんて、遠くから見ると、刀を振り上げた拍子に大量のウンコを漏らしているように見えなくもなかったりするんですが、もちろんそんなことはありません。
実際に戦ってる兵だけでなく、指揮官もいます。
ここで少し解説。
浅野祥雲先生のコンクリート像作品に特徴的なのは、この「クイッ」っとした手首の返しです。
何か妙にかわいいんですよ、この手首が。
真面目に紹介すると、これなんかは普通に格好良かったです。
斬りかかってるのかと思ったら軍配を振ってました。
周りに配下の隊がいればもっと格好良かったと思います。
こちらは馬乗りになっての取っ組み合いです。
表情がリアルと言えばりあるなんですが、何となく故・青木雄二先生の作品っぽくって、不渡手形をつかませた相手を追い詰めているようにも見えました。
さて、こちらは鉄砲隊です。
しげみの向こうから列になって一斉に構えてます。
せっかくなので、僕も隊に加わりました。
後で彼女に見せたら、
「全く違和感がない!」
と驚いていました。
いや、違和感がないのに違和感感じるってのもおかしいでしょ?(笑)
だんだん見てるだけでは物足りなくなってきた一行、戦に参加するようになります。
ちょっとビックリしたのがコレ。
なぜ島左近がこんなポーズで!?
倒れてるからって容赦はしません。
あいこで終わりましたけどね。
むしろ、勝ったのはこの人。
ポエヒトさん曰く、「タイトルは『BL』」だそうです。
一方その頃、タカシゲさんは動けないコンクリート像に追われていました。
一方その頃、タカシゲさんは動けないコンクリート像に追われていました。
こちらは追いかけてくる心配のない像↓。
当日は寒かったので、トイレも結構並んでました。
足上げてる像も結構多かったんですが、斬りかかってるように見えなくて、何だか間が抜けた印象を受けました。
でも、それは誤りです。
古武術研究家の甲野善紀さんの居合術に、同じポーズで抜刀しているものがありました。
浅野先生、実は結構リアルに作ってるんだなぁ、と思った次第です。
前半の最後は、意外な人のご先祖様をご紹介して終わりたいと思います。
この人…
坂崎のおっちゃんのご先祖様ですよね!?
そ、そう言えば、騎手は木崎!
木崎…きさき…キサキ…奇跡!
…どう見る、この符合!?
(後編へ続く)
写真提供:ヒロノリさん&タカヒトさん