2011年7月25日月曜日

齋藤孝さんのトリセツ

少し前、齋藤孝さんの著作を町の図書館で借りて片っ端から読む、という奇矯な行動に出ておりました。
昔は僕、齋藤孝さんのことかなり低く評価してました。
『声に出して読みたい日本語』について高島俊男さんが『お言葉ですが…』シリーズのどこかで、「がまの油のルビに『二枚が四枚(よんまい)』と振ってあったので、ばからしくなって投げ出しました」みたいなことを書いてあった印象が強くて、どうも「俗流文化人」的な印象がぬぐえなかったんですよね。

でも、興味のある分野についてはちょくちょくブックオフで買ったりしてたわけです。この辺が複雑な三十路男の乙女心という奴ですね。

で、こないだ体調を崩してネット断ちしてたときに読書熱が湧いてきて、「読書のリハビリ教材」として積ん読状態のを読み始めたんですが(「IT社会のプチ断食?」でちらっと書きました)、文字が大きめで行間もゆったり、内容も薄いのでサクサク読めました。

こう書いてると齋藤氏の本をバカにしているようですが(実際、少し前までの僕は完全にバカに…とまでは行かなくとも、かなり軽く見てました)、そうじゃありません。

何冊かまとめて読んでわかったんですが、齋藤氏の本って、その中で繰り返し言及されているように、書かれている内容を「技化」してナンボなんです。
つまり、見た目は全然違うんですけど、齋藤氏の本は実践的なビジネス書として読むべきなんです。

齋藤氏の本の内容が薄いのには理由があります。
齋藤氏の本の内容って、ある思考法なり技術なりを「技化」して自分の血肉として取り入れたときに完成するんです。これは自転車の乗り方と同じで、頭で理解してどうこうなるもんじゃない。自分でも無意識のうちに、普通に出来るようになって初めて役に立つモノばかりなんです。
で、そういう技術ってあんまり複雑な工程を踏むとできなくなっちゃうんです。

たとえば、呼吸法について書かれた『呼吸入門』では、呼吸そのもののノウハウは「三・二・十五の呼吸」という極めて単純なメソッドにされています。

齋藤孝『呼吸入門』

これ、他の呼吸法(たとえばヨガの呼吸法を説明した本だとか、武道系の丹田呼吸法について説明したもの)と比較して、圧倒的にわかりやすいです。
しかし、このわかりやすさを馬鹿にしてはいけません。著作で誤解無く伝え、しかもすぐに取り組め、すぐに出来るにはこれくらいシンプルじゃないといけないんです。何かを新しく始めようと思ったときに、完璧主義のマニュアルが細かくやることを指示していて、始めるまでに10工程、毎回やる際に20くらいのチェック項目があったとしたら、肝心の内容より準備の方に意識が取られてものすごい心理的負担(修行)になっちゃいます。そんなめんどくさいこと、よほど強靱な意志がない限り続けられませんよ。
この辺のことは、教育学を専門にしていて、NHK「にほんごであそぼ」の監修や、齋藤メソッドで小学生を教えたりしている齋藤氏は特に強く意識されています。
子どもにもわかるくらいにシンプルに。逆にそれくらいシンプルじゃないと大人だって実は使いこなせない。

更に言うと、大人だからってそんなにマニアックで本格的な技なんて必要無いんですよ。
僕自身、武道をやっている関係から、丹田呼吸法の本なんかも読んだことがありますが、実際そこまでの「完璧な呼吸法」なんて必要なのか? と思うようになりました。少なくとも今の自分には分不相応です。まずは入り口で齋藤氏の呼吸法が「技化」してから次に進むくらいで何の問題もないんじゃないかな、と気楽に考えられるようになりました。
まして、武道もなにもしない、普通に日常生活を過ごされている人であれば、「三・二・十五の呼吸法」でちょっとスッキリ、リラックスするくらいで十分ではないでしょうか。インドのヨガの達人の呼吸法をマスターしようとするのは、孫とメールのやりとりをしたいおばあちゃんがフルスペックのタワー型のPCを買い求めるようなもんで、明らかにオーバースペックだと思うんです。
池上彰さんが「週刊こどもニュース」でブレイクしたように、子供向けぐらいのシンプルで簡単なものって、実は大人にこそ求められているんです。

そういうシンプルにまとめられた「技」なんですが、これを大人向けの本として書くと一つのジレンマが発生します。
それは、大人ってシンプル・簡単にまとめられたものって、バカにしたり軽く見たりするんです。中島らもが「わけのわからんもんは強い」という至言を遺していますが、大人ってわかりすぎるとダメなんですよね。自分に理解できない複雑なところ、難しいところがないとありがたがらない。
で、齋藤氏は必死になって日本文化だのを持ち出して、シンプルなメソッドを権威によって補強するわけです。そのシンプルさゆえに大人が鼻で笑ってスルーしてしまいそうになるメソッドを、「実はコレ、凄いんだよ!」と権威付けするわけです。

だから、齋藤氏の本を「内容が薄い」というのは的外れなんですね。それはこの人の本の読み方をわかっていない、この本の書かれた目的と用途に適合しない読み方をしてるだけで、バスケットボールでサッカーしようとして「硬く手足が痛くなった!」って怒ってるようなもんです。

こういう風に齋藤氏の本を見るようになってから、齋藤氏って実は「入門書」(特に身体技法に関しては、高岡英夫さんの「ゆるメソッド」の入門書)としてものすごく優秀なんじゃないのかな、と思うようになりました。

齋藤孝という人のポジションが自分の中で今イチ定まらず気持ち悪かったんですが、今回「優秀な入門メソッドライター」というポジションでスッキリしました。


で、一点突破じゃないんですが、こんなことを考えてると、いわゆるビジネス書や「How to 本」の見方が変わってきました。
ビジネス書や自己啓発系の本って、メソッドが多すぎるんです。それは著者の誠実さの表れなんですが、残念ながら読者の習熟度・歩留りという点からするとマイナスに働いているのは否めません。一度に全部完璧にやろうとして失敗するんですよね。
だから、ビジネス書や自己啓発系の本に書いてあることは、一度に全部しようとせず、一個ずつ試して、合うものは取り入れて無意識に出来るくらい「技化」させ、そうなったら次のを取り入れる、という風にやっていくのが一番なんじゃないかな、と思うわけです。
(そういう使い方をするなら、小山龍介さんの『HACKS』シリーズはアイデアの玉手箱だったりします。アレを全部やろうとしてるのはムチャというもんで、ああいうのは気に入った奴をつまみ食いすれば十分なんですよね)

以上は、ビジネス書や自己啓発本を上手に使ってる人からすれば当然の話かもしれませんが、僕のようにノウハウ本ジプシーをやっていらっしゃる方は思い当たる節があるんじゃないでしょうか?(笑) ご同輩、是非一度お試しあれ。