2013年8月19日月曜日

[紹介] 坂村健『痛快!コンピュータ学』

(大学の情報処理論履修後に読み「先に読んどけば…」と激しく後悔した一冊。とにかくわかりやすい!最後にTRONの話になるが、文化に配慮する技術者(文化のための技術)という著者の姿勢に感動。ファンになった!crossreview

 痛快!シリーズは入門書の当たり企画だと今も思っていますが、読み返すと改めてそう感じます。
 本書が文庫化されたのは2002年。普通のコンピュータ関係の概説書ならとっくに過去の遺物になっていてもおかしくありません。
 しかし、本書はコンピュータの開発の歴史と、「情報とは何か」「コンピュータとは何なのか」という基本中の基本を説明しているので、今も十分通用します。
 本書を読んだのが大学3回生の頃。大学1回生のときに教養科目で「情報処理論」を履修してたんですが、その内容がわかりやすくまとまっていました。それこそ「何で先生はこれを指定テキストにしてくれなかったんだ!?」と頭にくるくらいです。

 後半には著者の本ではおなじみ、TRONの話も出てきます。特に文字(主に漢字)を巡る話では、著者が文字文化の大切さを理解する技術者であることに胸を打たれました。
 逆に、アルファベット+αくらいの文字で自分たちの用は事足りるとした西洋諸国の態度を見て思い出したのが、アロー号事件で英仏軍が北京に侵入したとき、永楽大典を雨にぬかるんだ道に敷き詰めた話でした。
 コンピュータが究極的には人間の文化・文明を扱い、それを発展させていくための道具であることを忘れ、機械の都合に合わせて人類の文化・文明を制限する発想が支配的だった(今もそういう側面は多分にあるかもしれない)ことにはため息が出ます。

 もう一つ、著者が提唱する「どこでもコンピュータ」は、ネット環境の整備とタブレットPCの登場でかなり実現された部分もあると思います。ネットでHDDレコーダーやPCを遠隔操作し、タブレットPCやPSPなどを使って外出先からテレビ番組を録画したり、録画した番組を見たり、そもそも自分でやらなくても誰かがネットに動画をアップしていて、巨大なアーカイブができあがっている、など、振り返ると目覚ましい進歩を続けていることに気づかされます。
 が、これからもウェアラブルコンピュータ(一つの究極形態として「電脳コイル」の電脳メガネ)など、「どこでもコンピュータ」の開発はまだまだ続くことは間違いありません。

 普段何気なく使っているコンピュータについて、それが一体どういうものなのか、その本質を知ることができる本です。