表題は、大学時代に教授からちょいちょい言われた言葉です。
立法論とは、法律を今後どう制定・改正していくべきかという議論です。これからの社会制度がどうあるべきか、それに合わせてどういう法律が必要かを論じるもので、割と現状に縛られずに自由に発想することが許されます。
これに対し、解釈論とは、現行の法律をどう解釈して適用していくかという議論で、これは現状の制度・法律を前提に議論しなければなりません。
これは法律学に限らず、広く議論一般にも相当する区別です。
立法論的な議論は、いわばブレインストーミングのようなもので、自由に発想してより面白いアイデアを出しながら使えそうなモノをピックアップするという方向性のものです。
そしてそこでの価値は、現状の問題点を克服するような斬新なアイデアと、そのアイデアの妥当性・通用性に置かれます。乱暴に言うと「面白さ」が重視されます。
これに対し、解釈学的な議論は、現状を前提としてそれに適合するかどうかを検証する方向性のものです。
そして、当然ここでの価値は面白さよりも「正しさ」「(現状の枠内での)妥当性」が優先することになります。
書いてみれば何という事もない当たり前のことなんです。大した話じゃございません。
が、何でこんな話をしたかと言いますと…実はつい先頃、某所で僕が解釈論的な議論をしたところ、「つまらない」「おもしろくない」と立法論的な議論の物差しで否定的な評価をされたということがあったんですね。
別に怒っているとかではないんですが、何というか、返す言葉がない感じで、
「そんな『家栽の人』の桑田判事を演じている片岡鶴太郎に対して、『おでんの汁をかけられへんから面白くない!』みたいなこと言われてもなぁ…」
と、トホホ感を抱えて弱り切っているという…単なる身辺雑記です(笑)。