2011年9月3日土曜日

ビブリオフェスタ (『鈴木先生』5巻)

以前、仲間内で「ビブリオフェスタ」というのをやりました。
名前でお気づきの方もあるかもしれませんが、ほとんど「知的書評合戦ビブリオバトル」を拝借したものです。

ただ、仲間内でやるときに「本のプレゼン+雑談・交流」をメインにしようと思い、投票はカットしました。結果的には、この変更は(目的に照らすと)成功でした。
後にビブリオフェスタにも参加したのですが、投票が入ると「自分が紹介したい本や内容」の他に「読みたくさせる」という部分が加わります。そうすると、出落ち系の本って薦めにくくなっちゃうんです。
以前、齋藤孝さんのトリセツという記事を書きましたが、『呼吸入門』を取り上げてこういう話をすると、面白いとは思って貰えると思うのですが、『呼吸入門』自体を読む気は多分起きないと思うんですね(笑)。
好きな本を熱く語る人もいれば、本に引っかけて自分語りをする人もいる、はたまた本をダシに笑いを取りに行く人もいたりして、特に仲間内の会合ではビブリオバトルから投票をやめてみるのも一つの手だなぁ、と思った次第です。

あと、時間的な問題で、プレゼン3分・質疑応答3分にしたんですが、結果的にはこれも良かったと思っています。
というのも、慣れてない内から5分のプレゼンというのはちょっと長いように感じたからです。むしろ、食い足りないくらいの方が、その後の交流で「本当に話したかったこと」を話すことにもつながり、雑談が盛り上がったんです。

ビブリオバトルってものすごく面白い企画です。
ただ、投票があるのでどうしても試合・勝負の要素が入ってきます。勿論それも魅力の一つではあるのですか、投票にちょっと気後れしてしまう人は、アレンジ版である「ビブリオフェスタ」をやってみてはいかがでしょうか? ビブリオバトルの面白さが体感できると思いますよ。


実はこのビブリオフェスタ、はじめるに際してグループのトップに没食らったんです。
でも、有志の仲間とやってみたら好評で、その後、話した内容のテープ起こしが出たりして、先々まで盛り上がりました。
他の人の方が面白いプレゼンをやっているのでアップするのは気が引けますが、一例として以前仲間内でやったビブリオフェスタで僕がやったプレゼンの起こしを掲載します。

■武富健治『鈴木先生』(5巻・双葉社アクションコミックス)


僕が今回取り上げるのは、『鈴木先生』の5巻です。

僕、『鈴木先生』が大好きなんですけど、その中でも一番好きな5巻を今回選びました。

『鈴木先生』というのは中学校を舞台にした話で、中2の担任の名前が鈴木先生というわけですね。
この作品って、学校の中で起きるいろんな事件に生徒の心理細かく分析して掘って掘って掘り尽くして出てくる細かい機微みたいなものを描こうとしているんです。作者が確かNHK・BS-2の「マンガノゲンバ」で言うてたと思うんですけど、曰く「1とか2とかでなく、1.512841くらいのことを描きたい」んだそうです(笑)
見て貰ったらわかるんですが、これ普通の単行本より大きいですけど、コマ割りが4段とかで組んであって、ものすごく細かいんですよ。

で、そこに字がぎっしり詰まってます。
おそらく日本のマンガで(=世界のマンガで)この分量で字が詰まってるのは、『ゴーマニズム宣言』と『鈴木先生』と、あと『名探偵コナン』ぐらいです(笑)

そして、そんだけ字を詰め込んだ中で細かーい分析をやっていて、またそれを非常にねちっこく描くんです。
ただ、あまりにもやり過ぎているんで、テンション上がりすぎてギャグ的にも読めちゃいます。
テンションが上がりすぎて変なこと言ってる部分がかなりあるんで、そこがギャグとして重層的に読める作品になってるんですね。

では、なぜ5巻か? なんですが、実はこの5巻で、鈴木先生自身が教師人生をある意味で決定づける、鈴木先生の心に今だ影を落とし続けている事件が起こるんです。
それって言うのは、こういう話です。

鈴木先生が新任の頃の話で、教室掃除の班分けとその掃除が舞台です。
このとき、不良の子とか心に問題のある子のいる班の中に、一人まじめで普通の子が入った班ができちゃうんですよ。その子の話です。
掃除当番は、まず不良がフケちゃいます。他の子も、情緒不安定な男子がいたりして、机を戻すときにガリガリ引きずったりしてるんですね。でも、それを注意するとパニックを起こして暴れちゃうから、「それは言わないで」と言われる。
…という風に、みんなそれぞれ「事情」があるんです。「事情」があるからこそ、あの子もこの子も許さないといけなくなります。
しかも、同じ班の残りのメンバーも、サボった不良や、情緒不安定な男子がサボってるのを見てるとばからしくなって「やめたやめた」とサボっちゃう訳です。
結局、その子は一人で掃除をしちゃうんですね。もうみんなサボってやめちゃったんだから、一緒にやめればいいのに。自分でもそう思うんです。だけど、やめられないんです、この子は。
そこでこの子は言うんですね。「私には事情がないから苦しくなっている」って。本来、「事情」がないことは幸せなことですし、生真面目さってのは賞賛される気質のはずです。でも、それが全部その子を苦しめる方に働いている、という逆説的がここで描かれています。

これって結局何かって言うと、構造的には「寓話」なんです。
読んでいただければわかるんですが、この作品は妙にテンションが高かったり、中学生らしからぬ硬いネーム(台詞)があって、中学校っていう舞台の中で作り込むとテンションが逸脱してて違和感があるんです。
だけど、その本質とか構造を引き抜いて大人の世界に当てはめると、結構しっくり当てはまるんです。

実は僕自身、個別指導の塾講師をしたとき、鈴木先生と同じ「思い当たる節」があってですね。やっぱり手のかかる子ばかりに時間を割いてしまって、出来る子には自習みたいな授業にしてしまいがちだったことがままあったんです。

そういう「現代の教育現場は、出来る子が精神的な我慢と不利益を引き受けることで成立している側面がある」という構造、もっと抽象化すると「ある組織や社会では、一部の出来る人間が能力を根拠に、そして善意を人質に取られる形で『負担』を押しつけられる。そしてそれによって何とか組織が成立している、回っている」という図式が見えてくるわけです。

こういう、物語の中に、抽象化したら応用範囲の広いテーマや図式が内包されている、これこそが「寓話」の働きなんですね。そして、寓話として読んだとき、『鈴木先生』はものすごく考えさせられますし、「使え」ます。
ホントにいろんなところで使えるんで、一度読んで頂ければ思います。

(本当は『最強伝説黒沢』と比較して作者のストイックさも語りたかったんですが…。)

◆質疑応答

Q:何巻くらいあるんですか?
A:全11巻で終わりました。
実はこれ、性に関するテーマもハイテンションで描いているのが面白かったりするんですね。
性行為に関して「俺はナマ派だ」と言い切ったり、「君たちは愛してるからと言って、キスで性病が移るなら、口にコンドームをつけてキスをするか?」って言って(それもムチャな論法なんですが…)、そこで更に口にコンドームをつけたシーンを描いちゃうような人なんです、武富先生は(笑)。
最後の次巻予告での煽り文句も明らかにギャグなんですよ。編集は明らかにツッコミで描いてるんですけど。
でもそれだけでは済ませられない、構造的に大人の社会でもあるような、すごい機微を描いているんです。

Q:「鈴木先生」の世界観ってすごく古くないですか?
A:仰るようにフォーマットとして古いんですけれど、そっから取り出す抽象論というか構造ですよね。古くて新しい問題なのかなと。
そういう構造をつかむことができたら、「あれ鈴木先生の5巻で起きてた問題や!」見たいな見方が出てくる。
寓話っていうのはそうやって「使う」ものかなぁ、と僕は思ってます。