当時、僕は万引きという言葉自体を知らず、「万引きは窃盗です。絶対にやってはいけません」と言われても、「盗みがいかんことぐらい知っとるわい。っつーか、万引きって何やねん!? 盗みとどう違うねん!?」と疑問に思ったものでした。
無知というのはつくづく恐ろしくも恥ずかしいものです。
で、これが三国志とどう関係するかというと、ビデオの中で少年がマンガ本を万引きするんですが、それが新書版で全60巻も並んでいる横山光輝『三国志』の20巻だったという、それだけの話です。
当時、本屋であの60巻を見ては、「こんなのを全巻家に揃えているヤツは奴は頭がどうかしている」と思ったものです。
その2年後、小学校六年生の春。
友人宅で遊んでいた頃、友人がやっていた『スーパー三国志Ⅱ』が決定的な三国志との出会いでした。
時を同じくして放送が始まったのが「横山光輝アニメ三国志」。
僕らの間では三国志熱がいやがおうにも高まりまくりました。
すぐに原作のマンガを買い集めましたが、そのときに食らったのが「青木雄二効果」です。
なぜか「横山光輝アニメ三国志」のアニメ版は「聖闘士星矢」の作画スタッフが作画していました(そういえば横山光輝の『マーズ』が「六神合体ゴッドマーズ」としてアニメ化されたときもキャラが美形化され、「聖闘士星矢」みたいな絵柄になってました。横光マンガの美形アニメ化はこの頃からの伝統?)。
アニメと横光先生の原作の落差に目が点になったのを覚えています。
新書版全60巻は流石にお金がかかりすぎるため、30巻まで集めたのですが、文庫版の横山光輝『三国志』(全30巻・潮漫画文庫)の登場を機に全て売却。全部揃えたのは大人になってからです。
その点、コストパフォーマンスが良かったのは横山光輝が原作としていた吉川英治『三国志』(全8巻・講談社文庫)です。
今から思えば、小学校六年のとき、休み時間に友達の誘いを断ってこれを読み耽り、全部読破したというあたり、かなり嫌なガキだったと思います。
吉川英治の小説は、中学の頃に NHKのラジオで橋爪功の朗読があったので、一時期本を読みながら朗読を聞いていた覚えもあります。
高校の頃、近所のホールに人形劇の三国志(NHKの人形劇の人形を作った川本喜三郎のやつ)が来たのですが、そのときも孔明の声は橋爪功だったため(本人はこんな田舎に来るわけもなく、声は当然事前の録音です)、僕の中での孔明の声は橋爪功で固定です。
そうそう、吉川英治の小説は、玄徳が徐州を落ちるとき、民家に立ち寄った際に主人が妻を殺してその肉を玄徳に出すという話を紹介し、「文化が違うから引くかもしれんけど、これは日本で言えば北条時頼に暖を取らせるために盆栽を燃しちゃった話と同じ"いい話"なんですよ」と見開き2ページにわたって釈明していたのが印象に残っています。
だから後に映画「西太后」で西太后が「栄養を取れ」と自分の腿の肉を嫁に送ったエピソードや、文革の頃に人の肉を争って持ち帰って喰っちゃった話とかを聞いてもあまり驚きませんでした。
…と、思い出話が長くなってしまいました。
三国志には、直後の時代に陳寿という人がまとめた「三国志」という歴史書があります。便宜上、これを「正史」とします。
これに対し、我々が一般に三国志としてなじみ深いのは、ずっと時代が下がった明の初期に羅漢中という漢方薬みたいな名前の人が小説でまとめた『三国志演義』です。
主にメインストリームはこの「正史」と「演義」の二つです。
日本では長らく吉川英治の『三国志』が三国志のスタンダードで、三国のうち蜀の劉備をベビーフェイス(善玉の主人公)とし、魏の曹操をヒール(悪役)とする描き方が一番なじみ深いのではないでしょうか。
そんな方が「正史」に挑戦しようとすると、大体挫折します(僕も読むのが苦痛でした。ごめんなさい、『呉書』はほとんど読んでません…)。
書き方が違うんですね。
歴史を時系列で整理せず、人物単位でまとめてあるわけです(これを紀伝体と言います)。
だから、慣れないと読みにくいですし、そうでなくても陳寿は簡潔な文章を書く人でして、簡潔すぎたりします。(怪しい情報は極力入れないようにという陳寿の歴史家としての姿勢ゆえ、なんですけどね)
が、そんな「正史かぁ、ハードそうだなぁ…(何せ、ちくま学芸文庫の分厚い奴が全8巻。一冊1000円以上で、しかも品薄)」とくじけそうな、僕のようなあなたにオススメなのが、高島俊男『三国志きらめく群像』(ちくま文庫)です。
「週刊文春」で連載されていたエッセイ「お言葉ですが…」でご存じの方も多いと思いますが、中国文学者の高島先生が、軽妙な(というより身も蓋もない)語り口で、前三段落くらいの話を詳しく説明した後、紀伝体で三国志の有名人物について語っていきます。
これが面白いのなんのって!
演義のフィクションの部分を「ここは小説」と切って捨てていくのが痛快なんです。
しかも、中国文学者としての素養が文章の端々に鏤められており、(例えば「晴耕雨読」。読書階級はそもそも畑仕事なんかしないんだそうです。あと、名前の呼び方も勉強になりました。劉備玄徳とか言っちゃう人は基本的な素養がないそうです…)、目から鱗が落ちることもしばしば。
僕はこの本で初めて「流れ矢」と「流矢」の違いを知りました。ホウ統は後者に当たって死んだんだそうです。
いや、それはそれで面白そうだけど、読み物に寄ってるよね。もう少し三国時代についてデータを込めて分析的に書かれたのが読みたいんだけど…というあなたには、コレ!
三國無双のヒットで雲霞の如く涌いて出た「三国志のストーリーを知らない三国志ファン」に対し「流石になぁ…」という気持ちからしたためたのが本書なのだそうです。
が、読んでみると衝撃!
ストーリーを知ってる三国志ファンも愕然とする「史実と小説の違い」が目白押しです。
三国志は七実三虚(ホントが7割、フィクションが3割)と言われているのですが、その"三虚"がことごとく僕らの三国志イメージを形作る重要な部分に集中していることがよくわかります。
冒頭いきなり「三国時代は寒冷化していた」という話でスタート。
気温のグラフ見たときは「何ぞこれ!」と驚きましたが、後に宮下英樹『センゴク』(講談社ヤンマガKC)で同じ入りを見たときは更に「あっ!」と驚きました。
曹操についても、「実はこの人、結構行き当たりばったり」と『蒼天航路』を真っ向から否定!(笑)
でも、この本のおかげで、一つ腑に落ちたことがありました。
それは、いしかわじゅんさんが「BSマンガ夜話」で『蒼天航路』を取り上げたときに仰ってた、「何で民衆が劉備についていくのか、最後までわからなかったなぁ」というもの。
満田先生は、曹操が徐州で民衆を大虐殺したことが、その原因であると仰ってました。演義系でもこの事件は意外とその場限りで終わっている印象がありますし、逆に『蒼天航路』は曹操を主人公にしているので、この辺の残虐さとか民衆に恨まれまくっている所なんかがどうしてもスルーされていました。
その両者の間隙を埋めてくれたのが、僕にとっては満田先生でした。
これも三国志の見方が変わる一冊です。
三国志のマンガで(意外なことに?)かなり史実に忠実なのは、李學仁・王欣太『蒼天航路』(全18巻・講談社漫画文庫)です。
この作品は曹操を主人公にしてキャラを大胆にデフォルメした、一見荒唐無稽な作品に思われがちです。
しかし、原作(のち原案)の李學仁と王欣太はかなり綿密に正史を読み込んだ上でストーリーを作っているので、実は演義に影響された吉川・横光三国志よりも全体的な話の流れと人物描写が(ある意味で)かなりリアルなんです。例えば『蒼天航路』では、赤壁の戦いに赴いた曹操が船の甲板に座り込み、都から届いた山のような書類(巻物)に片っ端から目を通して決済していくシーンがあります。
甲板でそんな政務を執るなんてことはあり得ないのですが、曹操は時の丞相ですから、実際は戦争中といえども決裁を仰がれることは山とあったはずで、立場上、戦争に没頭できるような状況になかったのではないかということに気づかされました。
丞相の日常を思わせる意味で非常にリアリティを感じたところです。
『へうげもの』などでも同じ事を思ったのですが、「歴史の事実ではなく"真実"を描く」(by.島本和彦)、リアルではなく"リアリティ"、といった印象を『蒼天航路』からは受けます。
以上、縷々述べてきましたが、僕は小説よりも史実、フィクションよりもノンフィクション系(あくまで"系"ですが)の方が好きなようです。ただ三国志の場合、紀伝体がネックでして、歴史の流れが追いにくく非常に読みにくいのは確かです。
そんな僕が最近注目しているのが、宮城谷昌光『三国志』(文藝春秋)です。
宮城谷作品は一冊も読んだことがないのですが、正史に忠実で割と淡々と話を進めていくそうなので、いつか読んでみたいと思っています。(うちに文庫が2巻まであるんですが読む時間がないんです…)
正史に近いと言えば、陳舜臣の『秘本三国志』(全6巻・中公文庫)と『曹操』(上下巻・中公文庫)『諸葛孔明』(上下巻・中公文庫)もそうらしいと聞きました。
『諸葛孔明』は持ってて途中まで読んだんですが、劉備と出会うまでが退屈で挫折中です。これを機会に後者だけでも読んでみようかな…いや、宮城谷三国志に行くべきか…
…と、しばらくして「陳舜臣は結構好き勝手に書いてるよ」というご意見を頂戴しました。そ、そうだったんですね!?
そうそう、最近気になっているのはこれです。
演義から正史へ上手く説明をしている概説書だそうで、読もうと思っているのですが、字がびっしり詰まってたので時間の関係もあり躊躇しているところです。