篠田英朗『憲法学の病』を読んでいたら、思わず「ホンマかいな?」と目を疑うような記述が出てきた。
ただし、それでも憲法学では、「通説」「多数説」が非常に重視される特殊な政治文化があることは認識せざるをえない。非憲法学者の排斥、少数説をとる者への人格攻撃、権威主義的な多数派形成工作、マスコミに働きかけた世論工作などは、日本の憲法学に特有の傾向ではないだろうか。たとえば、集団的自衛権は違憲だという議論に疑義を呈した、山本一教授、藤田宙靖・元最高裁判所判事、大石眞・京都大学名誉教授、百地章・日本大学名誉教授らを、三国志に登場する敗北の武将たちになぞらえ、「酷い発言」「最低」「開き直り」などの言葉を投げつけつつ、自衛隊違憲論者でありながら長谷部・木村教授と大同団結した水島朝穂・早大教授や青木未帆・学習院大学教授らを、赤壁の戦いに駆け付けた「英傑」と呼ぶのは、木村草太「集団的自衛権の三国志演義」全国憲法研究会(編)『憲法問題28』(三省堂、2017年)。注釈の中でサラッと触れられているだけだが、本当なら酷い話である。
読書の手を止め、早速この論文を取り寄せて読んでみた。
…いや、ホント酷いわ、コレ。
まず読んで驚いたのが、本当に、三国志になぞらえて批判対象に袁術・李傕・董卓・呂布といった暴虐を尽くして滅んだ悪役武将のレッテルを貼っていることだ。
当人は面白いと思ってのことだろうけど、ネタとしてはスベっているし、こんなノートの中で嫌いな奴の悪口を書いてる根暗なインテリ小学生の如き性根を見せられる方の身にもなってほしい。それ以前にただただ無礼なだけだ。
しかもこれを面白いと思って公表しているわけで、自分が同級生をいじめている様子をわざわざ動画に撮って動画サイトにアップしているガキのようなイタさまで感じさせられた。
一方で、自分たちを三国志演義の善玉・蜀になぞらえている。それを恬として恥じないメンタリティにはある意味脱帽であるが、その”無邪気さ”に、読んでいるこっちが恥ずかしくなってきた。
要するに、(いくら講演をまとめたものとはいえ)大学教授が真面目な論文雑誌で載せるにはあまりに品がない、と言わざるを得ない。
本人はこの三国志ネタがえらく気に入ったようで、芸人風に言えばあちこちで舞台にかけながら練っていたようである。
おそらくこれを講演で聴けばそれなりに笑えたのかもしれない。
が、ラジオの毒舌を書き起こすと、ただただ酷いことを言っているだけにしか読めないのと一緒で、講演(語り)と文章では面白みの伝え方も違うし、受ける印象だってもちろん変わってくる。
この講演を元にした「集団的自衛権の三国志演義」は比喩が面白く伝わるという一番大事な部分が欠落した、ただただ無礼と自己満足が横溢した文章に成り果てている。
比喩に関してもう少し言うと、一応なぞらえている理由らしきものが一行ほど書かれてはいるが…袁術って「極度の人間不信から三国志の登場人物のほとんどを敵に回した」んだっけ? 三国志演義にこじつけようとするあまり、三国志の登場人物までよくわからないことになっていて、三国志ファンとしては余計な比喩のせいで逆に混乱させられた。
前半の《内容以前の問題点》が後から取って付けたようなこじつけにしか見えないのは、おそらく、この三国志ネタが、自分たち(個別的自衛権合憲論者)と自衛権違憲論が大同団結して集団的自衛権の限定容認論を打ち破った!という着想から膨らましたからだろう。
それにしたって政府解釈である集団的自衛権の限定容認論を魏になぞらえるので話がややこしくなる。憲法学界では集団的自衛権の限定容認論は圧倒的少数説なんじゃないの? 日本政府が取っている説だから「正当性はないが巨大な勢力」ということで魏なの? 憲法学界の議論状況を理解しようとしたとき、理解の助けとなるはずの三国志の比喩が一々邪魔になった。
『キヨミズ准教授の法学入門』が素晴らしかっただけに、この論文(?)は心底残念でならない。