2012年2月17日金曜日

歴史のAとBをつなぐ本


小谷野敦『バカのための読書術』(ちくま新書)

昔読んだ小谷野敦『バカのための読書術』で面白い指摘かありました。

「歴史」は、大きく二つにカテゴライズすると以下のようになります(119頁)。
A.藤原道長の栄華とか、信長、秀吉、家康とか、有名人、つまり政治家や軍人を中心とした歴史。 
B.中世の民集はどういう生活をしていたか、人口変動はどうだったか、といった民衆史。
Aはいわゆる血湧き肉躍る歴史の物語です。
これに対し、Bはマルクス主義史学といわれるものの方法で、正直あまり面白くないわけです。

そして、大学ではBの方が研究の中心となっているので、小谷野氏が指摘するように、
だから、中学・高校時代に、司馬(遼太郎・引用者注)や梅原猛を読んで「歴史ファン」になった者が大学の史学科などへ入ると、往々にして、民衆の暮らしに関する古文書を読まされたりして、信長も秀吉も出てこないので失望したりする。
ことになります。

実際、僕の友人にも、スーパーファミコンの「信長の野望 武将風雲録」から歴史にハマり、大学の史学科に入った奴がいるのですが、中世日本の海運・流通なんかを研究させられてボヤいていた奴がいます(笑)。

でも最近、実は歴史のAとBはそんなに別々のものではないと思わされる作品に出会いました。


その一つが、宮下秀樹『センゴク外伝 桶狭間戦記』です。

宮下英樹『センゴク外伝 桶狭間戦記』(1巻・KCデラックス)

この作品の本伝である『センゴク』。そして続編の『センゴク天正記』は、戦国武将である仙石秀久を主人公にした戦国モノの漫画ですが、その特徴は「リアルの追求」にあります。

宮下英樹『センゴク』(ヤンマガKC)
宮下英樹『センゴク天正記』(ヤンマガKC)

例えば、騎馬隊が一列に並んで突撃をかけるとか、馬上で日本刀を振りかざした武士が斬り合うという、一般に僕らがイメージしがちな合戦像がありますが、それは虚構であるとあっさり否定されています。
実際は漫画としてのデフォルメなどがあるので虚構を一切廃しているわけではありませんが、僕らが通俗的にそういうものだと思い込んでいる常識をどんどん壊してくれます。

で、『桶狭間戦記』です。
冒頭いきなり出てくるのが「戦国時代は機構的には小氷河期(リトル・アイス・エイジ)だった」という指摘。
これは満田剛『三国志 正史と小説の狭間』(白帝社)でも同様の指摘からスタートしていただけに非常に興味深かったです。

満田剛『三国志―正史と小説の狭間』(白帝社)

そして、今川義元が領国統治のために『今川仮名目録追加』に二十一条の追加を施すことも触れられています。
この辺りは、高校生の日本史の授業でも何となく知識だけ覚えてスルーしてたのですが、なるほどなるほど、ここまで統治システムを説明されると今川義元がやっていたことの先進性がよくわかります。

一方の尾張・織田方は津島・伊勢の海運で利益を上げていたことが詳細に説明されています。
そういえば日本史の授業で、寺社が金融業をしていたことは習いましたが、それがこんなところでつながるとは…。

これらはいずれも「B」に属する知識で、従来なら退屈な勉強に属するものだったはずです。
しかしその「B」に属する知識が、歴史上の人物や政治・軍事に属する「A」の物語のなかに、その厚みを増す形で巧みに盛り込まれています。かなりマニアックな知識・知見を盛り込みつつも、マンガというエンターテイメント作品として成立させているところに作者の力量を感じます。
ですから、読みながら「うわー、これ自分の高校時代に読みたかったなぁ!」とうなってしまうくらい「B」に俄然興味が湧いてきました。



もう一つは、山田真哉『経営者・平清盛の失敗』です。

山田真哉『経営者・平清盛の失敗』

まず、平清盛って一般にはどうしてもエアポケットになりがちというか、中途半端な知識で終わっちゃいがちの人なんじゃないでしょうか?
歴史で興味をもたれがちなのは、どうしても古代史か武家政権確立以降で、『平家物語』でスポットが当たるのも主に源平の合戦です。
だから、貴族政治(院政)から武家政権(鎌倉幕府)への過渡期である平家については、特に平家が政権を握ったのが短命に終わったこともあってか、「平家は政治の実権を握ると貴族的なやり方(≒時代遅れのやり方)を踏襲したため、上手くいかなかった」というような「通説」で流してしまいがちです。少なくとも僕はモロにそうでした。

が、山田氏は最新の歴史学の知見と経済的な視点で、通説と全く違う平家政権の実像を描き出します。

第一章では日宋貿易について取り上げているのですが、単純に貿易をすれば儲かるという話ではない、と貿易についての一般的な知識、当時の貿易の実態、そして経済的な視点から分析を加えます。
これ、何がスゴイって、貿易の一般的な知識は池上彰の説明なんかで聞けそうな話ですし、当時の貿易の実態は「B」の歴史の本には出てくる話かも知れません。だけど、そういう個別の知識があるテーマを分析する際に一つの視点から整理され、しかも個別の知識に余り詳しくない人にもわかりやすいように書かれ、読み進めていく内に自然と全体像が理解できるようになっている、ここがスゴいんです!

第二章では宋銭普及の謎について言及されていますが、ここで注目すべきは当時の人たちと我々との価値観の違いです。
僕らはどうしても現在の貨幣経済社会の価値観を前提にしてモノを考えてしまいがちで、お金というものがない時代や人々が貨幣を信用していない(信認していない)状態での価値観というのがなかなか理解できません。
これは、アルビン・トフラーの言う「パラダイム・シフト」「引き返せない楔」というやつで、例えば生まれた頃からケータイがあった現代の十代にとっては、ケータイが社会になかった世代のことがなかなか想像しにくかったりします(もちろん逆の場合もあります。TVゲームがなかった頃に子供時代を過ごした世代が、現代の出先でもニンテンドーDSをずっとやっている子供の気持ちを今イチ理解できない、とか)。
しかし、山田氏はこの価値観の相違にかなり注意を払っていて、貨幣経済が浸透していない人たちのモノの考え方やそれに基づく合理的な行動というものを丹念に説明しています。

そして、一見関係ないような歴史的な知見を説明した後、銅銭が貨幣として広まるための信認をいかにして獲得したかが説明されるのですが、それがあっと驚く逆転の発想で、良質のサスペンスを読んでいるような感覚になりました。これはネタバレさせるのがもったいないので、是非直接本書をお読みになっていただきたいところです。

第三章では、平家滅亡のメカニズムが説明されています。が、これ、現代の日本にも似たような構造が見て取れるんです。インフレとデフレのメカニズムがよくわからない、池上彰の説明を聞いても何となく理解は出来るけど実感としてようわからん、という人は本書の第三章だけでも読んでみて下さい!(笑)
そして、第三章の最後に、貴族化してもやしっ子になった平家武士が水鳥の飛び立つ音に驚いて逃げたとされている「富士川の戦い」について言及されているのですが、山田氏に説得されちゃい、富士川の戦いの見方が変わっちゃいました。

本書は歴史のAとBに加え、会計士である著者の経済的な視点(C)からの考察があり、その三つが融合した非常にスリリングな本になっています。



以上、歴史のAとBをつなぐ、という観点から二つの本をご紹介しました。
「歴史(A)は好きなんだけど、日本史の授業(B)はどうも今イチ面白くないんだよな…」と感じている人は是非一度お手にとっていただき、「そうか!あの知識はここで使うのか!」と叫んでいただければ、と思います(笑)。