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2013年4月3日水曜日

[紹介] みなもと太郎『風雲児たち』(5巻)

解体新書出版を巡る、前野良沢と杉田玄白の苦悩。幾多の苦難を乗り越え、多くの仲間に助けられ、最後には仲違いまでして出版した解体新書を目の前に男泣きする良沢・玄白・中川淳庵に、読んでるこっちももらい泣き!(crossreview

 ターヘル・アナトミアの、判じ物のような翻訳作業は続きます。図と蘭蘭辞書の語釈の文章、そして文脈から少しずつオランダ語を翻訳していく作業は、遅々として進みません。

 そんな中、前野良沢の長女が病で亡くなります。娘の供養も済まぬうちから読み分け作業を再開しようと言う良沢。
「医者として手を尽くしはしたが、何もできなかった。自分たちの医学が、いかに無力であるかを思い知らされた。
 一日も早くターヘル・アナトミアを訳し、日本の医学を一歩でも前進させることこそ、亡き娘への最高の供養である」
 良沢は娘を失った悲しみを忘れるかのように翻訳作業に没頭します。

 そんな前野良沢を更なる悲しみが襲います。
 長崎から通詞(通訳)が来るというので、わからない単語の意味を質問に行く一行。通詞は、自分たちは先祖代々オランダ語を学んでいるが、文章の読みくだすのは難しく、長崎にたった百日の留学経験しかない前野良沢らにどこまで翻訳できるかと、ハッキリ言えば舐めてかかります。
 しかし、訳文を見せられた通詞は絶句します。ターヘル・アナトミアは通詞が読めないくらいに難しく、良沢らの訳の正誤を判断することができなかったからです。
 普通なら、前野良沢の天才ぶりが痛快なエピソードのはずです。が、良沢は落ち込んでしまいます。
 一年前の、長崎への百日留学のときには、自分が学びたいことが全て長崎に「あった」のです。が、この日、それが全て無くなってしまいました。自分の実力はまだまだだと言うのに、自分のオランダ語の力が日本一になってしましった。もう誰にも教えを請うことができなくなってしまった…。
 良沢の目指した境地、そしてそんな良沢がぶち当たった絶望と孤独。読んでいて何とも言えない切なさを感じました。

 一方、杉田玄白は翻訳がなったとしても出版できないかもしれない危険性に気づきます。蘭書というだけで幕府に取り締まられるかも知れないからです。
 この辺りで、玄白は出版プロデューサー的な働きを次第に見せ始め、外部に対して働きかけていきます。
 実はそんなにオランダ語ができるわけではない玄白。オランダ語の天才・前野良沢は人付き合いが嫌いな方で頑固な職人肌というところがあります。そんな良沢は翻訳を進め、人間も温和で人付き合いもうまい玄白は、読み分けに協力しつつもプロデューサーとして外部の人間と折衝する。二人がお互いの得意な仕事を分担すること形が少しずつできあがっていきます。
 そして杉田玄白は、平賀源内のルートで田沼意次にターヘル・アナトミアの翻訳本を献上する段取りをとりつけます。時の権力者である老中・田沼意次に献上することで、幕府に睨まれる危険性を格段に下げることができるという計算です。

 良沢と玄白は、次第に対立するようになります。訳に満足の行かない完璧主義の良沢と、もうここら辺で出せば良いじゃないか、完璧主義に陥って結局出ないのならゼロと一緒だと考える玄白。
 とりあえず玄白は良沢の許可を得て、ターヘル・アナトミアのパンフレット版『解体役図』を出版します。
 このとき、『解体役図』には杉田玄白の名だけが載っており、前野良沢の名前はありませんでした。これは、もし『解体役図』が幕府の取り締まりを受けたとき、玄白一人が責任を負うことで、良沢に捕縛の手が及ばないようにし、『解体新書』の出版プロジェクトが潰されないようにするためです。
 この『解体役図』は空前のヒットとなり、『解体新書』の出版が期待されるようになります。

 さて、ここでもう一つ問題が。
 訳文の方は前野良沢によって何とかなるとして、絵の方をどうするかです。
 このとき、平賀源内は経営コンサルタントとして秋田藩に招かれていました。そこで、秋田藩の藩主・佐竹義敦とその家臣・小野田武助(直政)に西洋絵画(蘭画)の描き方を指導しています。
 その後、源内は江戸に戻りますが、一緒に江戸に行きたそうにしていた武助は、藩主・佐竹義敦の計らいで江戸表詰銀山吟味役として江戸藩邸勤務を申しつけられます。
 この武助が、源内の紹介で『解体新書』の挿絵を描くことになるのです。
(この佐竹義敦と小野田武助の関係もいい話があるんですが、それは後の巻で)

 遂に挿絵の描き手もみつかり、あとは出版するだけとなったとき、良沢と玄白は決定的な対立を見ます。
 完璧主義に陥った良沢は、間違った訳の本を出すわけにはいかないと、更に時間をかけようとします。
 これに対し、玄白は「今、病に苦しむ人のために刊行すべき本だ」と即時出版を求めます。それでも「間違いが多い医学書は出版できないし、納得できない本は出せない」と拒む良沢。「役図が売れたことで名が売れたから出版を焦っているのではないか」と当てこする良沢に対し、遂に玄白が言ってしまいます。
「あなたの方がよっぽど名利を求めている。
 ささいなミスでも、自分の名前にキズがつくことが怖いんじゃないか!
 そうではないと言えますかっ!」
玄白も売り言葉に買い言葉だったのでしょうが、この直後の良沢の表情に、息を飲みました。二人とも絶句してしまいます。
「言ってはならないことを 言ってしまった……!」
良沢は静かに原稿をまとめると、玄白に原稿を渡します。ただし、良沢はこう言い放ちます。
「全責任はあなたにとっていただく。
 わたしの名を解体新書に出すのはお断りする!」
複雑な思いを抱きながら、玄白は家路に就きます。
「良沢の名前を出さないとなると、手柄を独り占めしたと世間からそしられる…」
 一方の良沢も、「玄白に原稿をくれてやる」とは言いつつも複雑な思いを抱えています。ですが、自分の信念も曲げられません。良沢の娘が「名前を出さなくても本当に良いのですか!」と詰め寄ります。
 そこで良沢は「ワシの名前など世間に知られなくても構わない! 私は名誉欲でやってきたのではない、医学のためだ。私が信念を貫けばそれでいいのだ…」と全てを飲みこみます。
 一方の玄白も、「私の名前など泥まみれになろうとも構わない! 私は名誉欲でやってきたのではない。医学のためだ。私が信念を貫けばそれでいいのだ…」と腹をくくります。

 そして遂に解体新書全五巻が出版されたのです。
 その後、杉田玄白・中川淳庵は、出版された解体新書を前野良沢のもとに持参します。
 あんなことがあって別れた玄白と良沢ですから、気まずかったのは確かですが、足かけ四年にわたる翻訳作業の集大成を目の前にした良沢の目は次第に緩みます。
 そして、次のページ。三人のシルエットが配された見開き2頁いっぱいに、今までのシーンが回想されています。彼らの脳裏に、この四年間の苦労が一気にフラッシュバックしているシーンを見たとき、思わず読んでる僕まで涙ぐんでしまいました。

 何でこんないい話が教科書に載ってないんだろう。何でこんな感動的な話が載っているマンガが「知る人ぞ知る」作品になっちゃってるんだろう。
 感動しすぎたせいで、一周回って変な怒りすら湧いてきました(笑)。絵がギャグタッチだからとか、マンガだからだとか、そういうつまんないこと言ってないで、未読の人は全員読んで欲しい! もう騙されたとも思わなくて良いから、黙って騙されて読んで下さい!! 絶対後悔させませんから!!!!