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2020年4月20日月曜日

麒麟がクルゥー!

Gyazo

今年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」はなかなか見応えがある。

何気ない台詞の中に斎藤道三親子二代説や帰蝶二度嫁入り説などがサラッと入っていて、歴史好きにも目配せをするところに、考証の念の入れようが窺える。
それでいて、前半生はほとんど記録が残っていない明智光秀に結構好き勝手やらせていて、ドラマとしての面白さも上手い具合に担保されている。

俳優陣も豪華で、本来帰蝶役立ったあの人のスキャンダルがあったものの、それ以外も納得の配役である。門脇麦だけよくわからんが…

個人的に驚いたのが齋藤義龍役の伊藤英明で、昔の彼からかなりイメージが変わっていたのに驚いた。
以前は「白い巨塔」の純朴な研修医役や「弁護士のくず」など、いかにも人の良さそうな、というか人の良いだけが取り柄のどこか気の弱そうな兄ちゃん、という印象が強かった。
しかし、「悪の教典」でサイコバス教師の役を演じるなどの経験からか悪役もしっくりくるようになっていったようで、今回、後に父親である斎藤道三を殺す義龍の役もしっくり来ている。
俳優に円熟味を感じるというのはこういうことか、とまで思ってしまう。

そんな伊藤英明がかつて信長を演じたことがあるのだが、そのときの感想がこれ。
2005年1月2日放送の新春10時間ドラマ「国盗り物語*」(テレビ東京系)をご覧になった方はいらっしゃるだろうか?
私は病床で第一部、第二部までは観たのだが、第三部以降は観なかった。治りかけた体調をまた崩しそうになったからである。
* ご存じない人のために注を付けておくと、『国盗り物語』とは、司馬遼太郎の小説である。ちなみに、前編が油売りから美濃一国を手に入れた斎藤道三の話で、後半がそれを継承する織田信長の話だ。
第一部については、油商の女将役の高島礼子がすでにひどい演技をしていたが、主役が北大路欣也だったため全体としてはまあまあしまったドラマだったと言える。(個人的には土岐頼芸役の伊武雅刀の胡散臭さ爆発の演技がツボにはまった)
しかし、第二部になって織田信長役の伊藤英明が出てきた辺りで全てがぶち壊しになった。
元々伊藤英明は眼が垂れ眼気味の優しい顔立ちなので、信長役は無理なんじゃないかと思ってはいた。が、まさか全編を棒読みで通すとは思わなかった。しかも、その一挙手一投足がやらされてる感丸出しの演技なのである。失礼ながら「この人に役者をやらせるのは土台無理な要求なのでは?」と俳優・伊藤英明を根本から否定する疑念が私の胸を去来した。
正直、あんなにひどい敦盛(舞と歌、両方)を観たのは初めてである。狙って出来る下手くそさではない。制作に携わった連中全員の見識と能力を疑う。
伊藤の演技のせいでドラマは高校の文化祭の劇に堕ちてしまったと言っても過言ではない。
そのひどさに輪をかけたのが、道三の娘で信長の妻である帰蝶(濃姫)役の菊川怜である。濃姫は頭の良い女性だというのが一般的なイメージであるが(少なくともドラマ中ではそのように描こうとしていた形跡があちこちにある)、菊川怜の演じる濃姫にはその知性がかけらも感じられない。東大出の才色兼備で売っているはずなのに、報道番組(バンキシャ!)のコメントにせよ、賢女の演技にせよ知性を全く感じさせないのは菊川にとって致命傷ではないのか、と要らぬ心配までしてしまう。
もちろん、演技の方もひどいものである。伊藤に輪をかけた棒読みで、二人で敦盛を演奏するシーンに至ってはトラウマになるほどの下手くそさなのである。文化祭の劇レベルではない、お遊戯会以下だった。
去年マスコミに作られた韓流ブームが巻き起こったが、その下地として日本における役者の不在が一因となっているのは否めない事実だと思う。役者不在を言い出すと日本映画の不振や映画界の構造的な欠陥まで論を進めなければならないのでここでは割愛させて頂くが、重厚なドラマに耐えうる厚みのある役者が極端に少ない(少なくともそれらがほとんど評価されない・露出しない)現状は憂うべきものがある。
別の意味できちんと原作を読んでみようと思ったのが、同ドラマを見ての私の感想である。

我ながらヒデーこと言ってるわ(笑)