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2013年5月20日月曜日

[紹介] ちきりん『自分のアタマで考えよう』

ちきりん『自分のアタマで考えよう』
有名ブロガーの著者が資料の見方・扱い方や自身のモノの考え方について開陳した本。卓見は「『知っている』と『考える』は全く別物」という指摘。頭良くしようとインプット(読書)ばかりしてる人は耳が痛いはず(笑)(crossreview

 「知っている」と「考える」は全く別モノ、という序章からドキッとさせられました。

 これ自体はショーペンハウエルが『読書について』の中で既に指摘していたことであり、最近では、ネットの情報洪水やネット中毒に警鐘を鳴らす各種の本(ニコラス・G・カー『ネット・バカ』やウィリアム・パワーズ『つながらない生活』、そして以前ご紹介した遠藤功・山本孝昭『「IT断食」のすすめ』)でも指摘されているところです。特に『つながらない生活』を読むと、ネットに限らず、昔から人間は、新しいメディアと出合うたびに、情報氾濫に飲みこまれないようにするか悩み続けてきたことがわかります。
 ですから、先人と同様の指摘がなされているからといって、本書の価値はいささかも減じられるものではありません。むしろ、著者の体験と実績に裏打ちされて語られるのであれば、先人の警句の価値を補強し、更に価値を付与するものだとすら言えます。

 かくいう私自身、こうやって本の感想と紹介文を書いているのは、アウトプットを自分の中に設定することで、考える機会を担保しているという側面があります。そうでもしないと、「知っている」で満足してしまう(もっと言えば、本を買っただけで賢くなったように錯覚する)悪傾向が自分の中で首をもたげて来そうで…。
 自分自身、そういう傾向を持っているだけに、自分の中で警句としている寓話があります。

 その一つは「Amazonたろう」の話です。
 Amazonたろうは、昔話「桃太郎」と未来話「ペランスタロウ」(by.上野顕太郎)と並ぶ今話です。

 今今、あるところにAmazonたろうという男がおったそうな。
 彼は何かあるとすぐAmazonをポチり、届いた本を読みあさっては賢くなり、できる男になった気がしていたそうな。
 あるとき、Amazonたろうは、仕事でホームページを作ることになりました。そこでAmazonたろうは、どうやればより多くの人に見てもらえるかを考えることにしました。そして早速、Amazonでマーケティングの本をポチり、それを読んではまとめレジュメを作成し、それを延々と報告してきました。
 ホームページの公開まで1ヵ月をとうに切っています。しかし、担当のAmazonたろうは嬉々としてマーケティング本のまとめをアップするだけで、ホームページの内容は一つも進みません。
 業を煮やした上司は、「抽象論とお前のオナニーお勉強はいいから、とにかく具体的なコンテンツを作れ! 早くまとめろ!」とAmazonたろうに説教をします。結局、上司が自分でやった方が早かったくらいに手間がかかり、しかも上司が指示した内容がそのまんまホームページの内容になりました。
 しかし、Amazonたろうは「俺は一人でみんなにみてもらえるホームページを作ったぞ!」とご満悦でしたとさ。おしまい。

 もう一つは「帳面太郎」の寓話です。
 岡田斗司夫『あなたを天才にするスマートノート』を読んで感銘を受け、スマートノートをはじめた帳面太郎。
 しかし、基本的に一日見開き2頁、30枚綴りのノートを約1ヵ月で使う計算のノートを、月2冊のペースで、下手をするとそれ以上のボリュームで書いている帳面太郎。それを心なしか自慢げに仄めかす帳面太郎に、周囲は本人には言わないまでも冷ややかです。
 「いや、まともにモノを考えてたらそんなペースで書けないでしょ(笑)」
 「そんだけ書くことあるなら、そろそろブログでもはじめて人様に読んでもらう文章を書けば良いのに。素振りばっかりしてても試合じゃ勝てないっしょ」
 周囲の人間は、そうは言いながらも、帳面太郎が「実戦」に出てきたときに、どれだけ面白くなっているのかを、心のどこかで楽しみにしていました。もちろん、"暗い情熱"のもとに楽しみにしている人もいますが。
 しかし、そんな周囲の期待は斜め上の展開で裏切られます。帳面太郎は1年間で60冊にもなんなんとする帳面を書きためた成果を文章なりしゃべりで発表することはなく、60冊のスマートノートを自慢する動画をアップしたのです。「素振りだけで試合に出られるのか?」と周囲は心配して見ていましたが、帳面太郎はあろうことか「素振りの県大会」に出場してしまったのです。
 「いや、確かに面白くはなってるけど、それ、違うよね…」と苦笑いを浮かべる周囲の視線に気づくこともなく、帳面太郎はYouTubeのどこかにアップされた動画の中で、今日もご機嫌で帳面の冊数を自慢しているそうな。…おしまい。

 …正直、友人からこの話を聞いたとき、背筋が凍るような思いがしました。頭を使ってない人間よりも、頭を使った気になっている人間の方が遙かに始末が悪く、つくづくこうはなりたくないと思ったからです。

 第1章からは考え方(テクニック)を、著者自身の実例とともに紹介してあります。ここで大事なのは、それを読んでわかることではなく、実際に使ってみて自分になじませ、一々考えなくても無意識のうちにそのテクニックを使っているような状態になること(=「技化」すること)です。
 (これは以前から繰り返し言ってきたことで、くどくなるのでやめます)

 あと、本書で紹介される思考ツールを用いた著者自身の思考過程は、結論として異論のあるものがあったりもします。おっちょこちょいな人は、それを以て「本書の思考ツールはダメだ」と言うかもしれません。
 個人的には具体例としてまずいというレベルのものはないと思いますが、確かに結論として「?」となるようなものもあるかもしれません。しかし、それは「自分のアタマで考えよう」という本書のメインテーマを大きく減殺するものではありません。むしろ、下手でもいいから、ゼロから物事を考えてみる、当たり前だと思っていることも自分で考えながら確認する、ということの大切さには変わりありません。
 ちなみに私は、本書の結論で引っかかりを覚えたとき、「著者の結論と自分の結論が違ったのはどこで、何が間違ってるんだろう?」と考えました。当たり前と言えば当たり前ですが、そういう風に考えさせる文章というのは、やはり書き手が自分のアタマで考え、キチンと思考過程を提示しているからだと思います。
 (これは、理屈にもなってないわけのわからない決め打ちだと、「こいつバカだ」と思うだけで、一々論者の結論に至る過程のどこが間違っているか考えたくもなくなるのと比較していただければわかりやすいかと思います)

 それに、誰かの言ってることをそのままコピペした文章と、思考過程・結論自体は凡庸でも、書き手が一度自分のアタマで考え、理解した上で書いている文章というのは、自ずから説得力が異なります。
 我々は文章の説得力を考えるときに、どうしても論理の方にばかり注目してしまいがちですが、実は文章の説得力を支える大きな土台となるのは、書き手の問題に対する理解の度合いという本文に直接表れない部分に支えられています。
 竹内一郎『人は見た目が9割』というノン・バーバル・コミュニケーションについて論じた本がありましたが、文章では書き手の問題に対する理解というノン・ビジブルな部分がそれに相当するのだと思います。

 本を読むだけで賢くなった気になっている人にこそ読んで欲しい本ですが、「本を読んで知識をかき集めるんじゃなくて、自分の頭使って考えないといけないね」って本を読んで思うだけじゃダメですよ!