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2013年4月10日水曜日

[紹介] みなもと太郎『風雲児たち』(6巻)

平賀源内という人はビックリするくらいマルチな才能を持った人だったが、彼の一生を知ると、器用すぎるのも考え物かも。彼が唯一恵まれなかったのが「時代」。生まれるのが早すぎた天才の、孤独と悲劇が切なすぎる!(crossreview

 冒頭、前野良沢の話から泣けます。

 『解体新書』の出版後、杉田玄白はやがて大蘭方医として時の人となります。
 それにひきかえ、『解体新書』にその名が出ていない前野良沢の功績は人に知られず、良沢のもとを訪れる人は誰もいません。
 そんな折、良沢は中津藩藩主・奥平昌鹿に呼び出されます。江戸藩邸では、良沢の功績を知らぬ中津藩士が良沢のことを軽侮の目で見ます。
「『解体新書』を出版したのは若狭藩の杉田玄白らしい」
「前野は何をやっていたのだ。まともに出仕せず好き勝手やってたくせに」
「アイツは複数で訳した一人に過ぎないんじゃないか」
 他の者に何を言われても我慢できますが、藩主に対しては顔向けできないと恐縮している良沢。そんな良沢に、昌鹿は語りかけます。
「良沢、わしの三年前の参勤交代に付き添って中津藩へ行き、そのまま長崎留学を願い出たのであったな。理由は蘭方医学を学びたいとか…
 あのとき、お前はわしのやった金で、たあへるなんとかという読めもせぬ本を買ってきた。一体何の訳に立つのかと思ったが…」
恐縮しきって畏まる良沢に、昌鹿はさらにこう言います。
「良沢、あの金は生きたな」
昌鹿は、『解体新書』を訳したのが良沢だと知っていました。そのことに号泣する良沢。
 そんな良沢を見ながら、昌鹿は「なぜ『解体新書』に名を載せなかったのか?」と訊ねます。長崎通詞が太鼓判を押している訳に「いまだ訳が不出来にて…」と予想を超える答えを返した良沢に驚いた昌鹿は、良沢を「オランダ語の化け物」と呼び、オランダの医学書を褒美として与え、好きなときに出仕すれば良いとしました。ものわかりの良い殿様は、家来にも「アイツは化け物だからほっとけ」と申し渡し、良沢の苦労もそれなりに報われたようです。

 職人肌で人付き合いもそんなに上手くない人は、その功績に対して報われない部分が往々にしてあるのかもしれません。それだけに、良き理解者によって良沢の功績が評価されたということにグッと来ました。

 一方、長崎では林子平の大捕物が。そこで子平は、オランダ商館長のヘイトからベニョヴスキーお手紙事件の顛末を聞き、国防意識に目覚めます。この後の子平の活躍と、彼を襲った悲劇は後の巻まで続きますが(これも涙無くして読めません)、その彼が死後に国土を守る日が来るのですが、それは幕末編で…

 さて、本巻の主人公と言えば平賀源内でしょう。
 『解体新書』を本屋で手に取り、仲間が四年もの歳月をかけて遂に成果を形にしたことに感動します。が、同時に彼は我が身を振り返って落ち込みます。
 源内はマルチの才能をもっており、芝居の脚本は書くわ、錦絵の染料を開発するわ、自然科学に通じて様々なものを作るわ、鉱山のプロジェクトに携わるわ、「土用丑」のキャッチコピーで夏にウナギを流行らせるわ(現代のCMプランナーですね)、様々なことをするのですが、それだけにこれといった成果を残していないのです。

 この辺は読んでいてキリキリと胸に刺さるようでした。もちろん才では源内に及ぶべくもない私ですが、源内の生き方を見ていると、何でもすぐに思いつく一方で一つのことを根を詰めてやる忍耐に欠けるところが、何となく自分に重なって見えたからです。
 私は、才能というのはパラメータの振り分けのようなものではないかと考えています。例えばある人が10の才能ポイントを持っているとして、色んな分野で才能を発揮できる人というのは、色んな分野での「ひらめき」に1ポイントずつ振り分ける使い方をしています。これに対し、一つのことをやり抜いた人は、一つの分野に集中的に才能ポイントを注ぎ込んでいるように思えてなりません。しかもこの振り分けというのは意識的になしにくいもので、かなりの部分、性格に影響されるのかな、とも思います。
 ですから、あちこちに目移りし、一極集中で才能ポイントを使えない人が一つのことをがんばり抜くのって、もの凄い「抑制と集中」のエネルギーが必要になります。
 源内のモノローグを読んでいると、そんなことをつらつらと考えてしまいました。

 『解体新書』の出版に刺激を受けた源内は、一念発起してエレキテルを開発します。
 この時代に電気を発生させる機械を作った一事を以て、彼の天才は証明されているのですが、残念なことにこの時代には、彼の発明の凄さを理解できる人がいませんでした。
 もう少し源内が不器用だったら、あるいは何らかの形でエレキテルの実用化がなされたのかもしれませんが、なまじ才能豊かだったが為に「この凄さをわからせてやる!」とエレキテルを見世物にしてしまいました。
 が、この見世物にしてしまえる才能が、やがて源内に悲劇を呼び込みます。エレキテルを一緒に作った職人がそれを盗んで見世物を続けたので源内との間で裁判になるのですが、江戸時代の奉行が知的財産権を有してるなどあろうはずもなく、源内は裁判に負けます。
 やがてエレキテルを勝手に見世物にしていた者は捕まるのですが、この辺りから理解者を得られない源内は次第におかしくなっていきます。
 建築技術でも革新的なアイデアを出した源内は、そのことに関連したトラブルで、誤って人を殺めてしまい、そのまま獄中死するのです。

 生まれる時代が早すぎた悲劇、というしかありません。これだけ才能豊かだった人が、時代のあだ花のような形でしか生きられなかったというのは、あまりに悲しすぎます。
 その後も、日本には栄光なき天才たちが少なからず存在します(例えばライト兄弟よりも早く飛行機の原理を発見していたのに、それを完成することができなかった二宮忠八など)。そういう人たちの話を知る度、自分に理解できないものに対して畏敬の念を示すことの大切さを思い知ります。

 玄白・良沢らの蘭学グループは源内の非業の死を悼み、その才を惜しみます。
 が、世の中の人々は、源内の発明をそれと知らずに利用しています。「土用丑」だったり、舞台の背景の凹絵だったり、竹とんぼだったり。
 去る者は日々に疎し、と言えなくもないですが、人が生き続けるというのは、あるいはこういうことなのかもしれません。だけど、まさか源内も、自分がはじめた「土用丑」が330年後も続いていて、ウナギの稚魚が危機的状況になるほど広まるとは思ってなかったでしょうね(笑)。