2013年12月2日月曜日

[紹介] 中嶋博行『この国が忘れていた正義』


著者は上戸彩主演でドラマ化されたマンガ『ホカベン』の原作者で、被害者救済支援活動に取り組む弁護士。被害者をなおざりにし加害者ばかりが重視される現状に異を唱え、処罰と償いの遂行こそが正義であると主張する。(crossreview

 現代日本は、凶悪犯罪者の人権と更生・社会復帰を偏重する「犯罪者福祉型社会」であり、それに代わる「処罰社会モデル」に移行すべきである、というのが本書の骨子。
 著者は、被害者救済支援活動に取り組む弁護士で、上戸彩主演でドラマ化もされたマンガ『ホカベン』の原作者でもあります。

 本書では、第一章から実例を挙げて快楽犯罪者の更生が効果を上げていない事実が指摘されています。
 読んでいて辛かったのが大阪姉妹殺害事件で、その残忍な手口は、読んでいて吐き気すら覚えました。しかもこの犯人は、以前母親を金属バットで殴り殺し、その際に射精していたとのこと。一方で「この事例だけを以て快楽犯罪者の更生可能性を判断してはいけない」と建前で思いつつも、やはり現状の刑事司法の対応はお粗末きわまりないと思わざるを得ませんでした。
 この犯罪者に対する更生アプローチは、実は1960年代にアメリカで「治療モデル」として実施されています。が、この「治療モデル」は、結果として史上最悪の犯罪社会を到来させてしまいました。その反動で、1970年代以降のアメリカは「治療モデル」から「正義モデル」へと大転換を遂ます。「正義モデル」とは、社会を犯罪から防衛するには犯罪者の心をいじるのではなく、彼らを徹底的に隔離し、無害化すれば良い、という考え方です。
 最近では捜査機関のずさんな捜査による冤罪が明るみに出るようになり、正義モデルも若干旗色が悪くなっているそうです。が、死刑の存置や「三振法(過去二回暴力犯罪で有罪判決を受けた者が、重犯罪で三度目の有罪になったときは、原則終身刑となる)」、それに「ミーガン法(性犯罪者の出所に際して、州当局が「危険人物」と判断した場合、その名前や住所を地域コミュニティに知らせ、住民総がかりで監視するというもの。メーガン法とも言う)」など、犯罪者の徹底的な隔離・監視と無害化という正義モデルはなおも健在とのことです。

 アメリカの議論を読んでいて気になったのは、治療モデルにしろ正義モデルにしろ、基本的には社会防衛と特別予防を重視する新派刑法学的な色合いが強く感じられたことでしょう。実際、ミーガン法により地域コミュニティに性犯罪の前科・前歴情報が行き渡ることで、私刑に等しい嫌がらせがなされたりもしています。性犯罪者が司法取引で、睾丸の切除と懲役20年をバーターするなど、凄まじい話も紹介されていましたが、社会防衛第一主義的様相を呈している姿は、正直それはそれで異様に感じる部分もありました。

 本書はこの後、人権論から遡って検討し、日本の更正モデルが実をあげていないことや、国家権力と加害者の対立の構図の中で被害者が疎外されている現状を紹介します。そして、加害者の更生についてその必要性から疑問を呈し、刑務所を民営化して刑務作業の労働生産性を上げ、その収益から被害者への賠償金を徴収する「賠償モデル」を提唱します。
 読んでいて一瞬『カイジ』の会長の、「金を借りた者の誠意とは、盗んででも奪ってでも、何をしても期限までに金を返すことだけっ…!!」というセリフが頭をよぎりましたが、現行法下でも「労役所」があり、刑務作業をさせているのだから、被害者救済の実効性を上げるために「賠償モデル」を選択するというのも十分検討に値すると思いました。
 また、この「賠償モデル」には公設取立人制度の創設も含まれている。出所後加害者がバックれても、被害者は自ら民事裁判手続を踏むことなく、公設取立人が加害者を追いかけて賠償を取り立ててくれ、そのために現在仕事の無い公安調査庁を居抜きで使うという発想には恐れ入りました。
 ただ、更生しない犯罪者は一定数いるだろうが、国家が犯罪者の更生や社会復帰、更には被害者・加害者の修復というアプローチに一切関与しないというのも行き過ぎのような気がします。被害者の側も、加害者の犯罪行為自体は一生許せないとしても、加害者が真摯な反省をしたことで幾分かでも心理的に救われる部分があると思います。甘いと言われそうですが、そういう道も残しておくべきなんじゃないか、と思われてなりません。
 また、犯罪者の社会復帰については、現行の保護司制度(ボランティア)に頼るだけでなく、もっと拡充していく必要があります。犯罪者の再社会化は、治安維持コストや刑事司法コストを軽減させるだけでなく、被害者への賠償の面でもプラスになるはずですから。

 最後の方で、「いじめは犯罪である」と断じているのはその通りだと思います。シカトまでをも犯罪とするのにはやや躊躇を覚えますが、論旨としては森口朗『いじめの構造』とほぼ同旨で、納得しました。やはり、日本の教育界は学校内に警察が入るのを嫌悪するあまり、犯罪を処理する権能もないのに「いじめ」というマジックワードで校内犯罪を遺棄している、と言わざるを得ません。

 本書の提言は「やや極論」で、7割賛成・3割保留というのが実感ですが、十分検討に値する内容だと思いました。