2013年10月28日月曜日

[紹介] ジョージ・オーウェル『動物農場』

 
動物たちが人間を追い出して作った動物農場。が、指導者の豚が次第に特権階級として贅沢をするように…ロシア革命と共産主義を痛烈に諷刺した寓話。愚民による民主主義こそが独裁制の温床だということを教えてくれる。(crossreview

 初めて『動物農場』を読んだ(読まされた)のは、高校の夏休み。英語版を買って読んで訳して来い、という宿題だった。
 その時は何が何だかよくわからなかったのですが、大人になってから「あ、あれか!」と気づいて再読(?)。いやー、こんなに面白い話だったとは!

 人間の搾取に耐えかねた動物たちは、人間を追い出し、動物たちの自治による「動物農場」を成立させる。
 しかし、動物農場のリーダーである豚たちは、他の動物たちが必死に働いているのを尻目に、だんだん贅沢な暮らしをするようになる。そのことを不審に思った動物たちが疑問をぶつけると、
「豚が頭脳労働をするためにはベッドが必要だ」
「ジョーンズ(かつて「動物農場」のオーナーだった人間)が帰ってくるぞ!」
 と言い逃れたり脅したり。いつしか動物たちは以前よりも苦しい生活に喘ぐこととなっていた…
 ロシア革命からソ連の共産主義体制までの欺瞞を痛烈に風刺した寓話。

 建前で平等・公平を過度に謳う体制ほど、何やかんやと指導者が理屈を付けながら建前の例外層を生み出し、いつしか独裁体制に至るものである。そして、それを許すのはいつも民衆である。
 本作では、動物農場の動物たちは、すぐ豚に言いくるめられる愚鈍な民衆として描かれているが、我々だって程度の差はあれ、本質的な部分ではこの動物たちと同じである。思考を放棄し、見たくない現実から目を背け、誰かが何とかしてくれると政治の問題を他人任せにする…そういう態度が独裁制の芽を育てるのは、ファシズムの台頭や共産主義体制下の独裁制が示すところである。

 結局、民主主義を統治システムの前提とするなら、我々は権力者に全幅の信頼を置くことなくどこかで監視の目を光らせなければならない。と同時に、権力者の言うことが正しいかどうかを判断できる資質・素養を磨き続けなければならない、ということになる。
(ちなみに、ここで言う「権力者」は政府や公権力だけではない。政府や公権力を監視する「マスコミ」も立派な権力者であり、彼らの発信する情報や言論にも監視の目が必要である)

 …正直、七面倒くさいシステムだと思う。でも、現行の統治システムが民主主義に則っている以上、面倒くさがっていると政治の腐敗や独裁制がわき起こってくるから、腐らずにやるしかない。
 民主主義とは、つくづく手間のかかるシステムだよなぁ、と改めて思わされる。

 独裁制とは民主主義下で初めて発生する政治体制である、という指摘をどこかで読んだ記憶があるが、本作はそれを痛感させられる寓話である。