2012年10月3日水曜日

[紹介] 和田竜『のぼうの城』(下)

和田竜『のぼうの城』(下)
初戦に勝利をおさめた忍城勢だったが、三成の水攻めにより一転窮地に追い込まれる。ここで長親は決死の奇策にうって出る―。もう少しコンパクトな方がリズムが出たと思うが、ラノベタッチで読みやすく筋も面白かった。(crossreview


 初戦で大勝利をおさめた忍城勢。
 しかし、石田三成はそれも計算に入れていた。彼が本当にやりたかったのは、秀吉が毛利攻めで見せた高松城の水攻めである。
 高松城のときよりも壮大な堤防を築かせ、湖に囲まれた忍城を水没の危機にまで陥れる。
 窮地に追い込まれた忍城では、城代・成田長親が「鬼になる」と言い捨て、決死の奇策に打って出る――。


 最近は、『天地明察』などもそうだが、ラノベタッチというか、かなり読みやすい時代小説が登場しているように思う。時代小説ファンにすれば味気なさを感じたりするのかもしれない。
 が、それはあっさりした飲み口から重厚な味の赤ワインと色々あるように、好みの問題としていいように思う。むしろ、時代小説の裾野が広がることで、今まで池波正太郎や藤沢周平を手に取らなかった読者層が新規開拓されることだって考えられる。「古典落語はかくあるべし」みたいな教条主義的思考で排斥するのではなく(実際、そうやって貶すレビューも散見される)、時代小説の間口の広さ、懐の深さとして歓迎すべきだと個人的には思うところである。

 ただし、本作に関しては少しスッキリしない部分があるのも確かである。石田三成は、生来の潔癖さと、水攻めをやってみたいという欲望の虜になっている部分で齟齬があっても構わないが、成田長親のキャラ設定にはちぐはぐ感が残ったように思う。小田原陥落により全ての戦が終わった後、冷静に振り返ってみると「結局、こいつは何がしたかってん?」と思わざるを得なかった。長親の心情は作品内では明示的に語られることなく、そのほとんどが正木丹波の推測として語られるのだが、読者視点であるはずの正木丹波が納得するシーンで「?」となるところもあった(特に最後の甲斐姫の処遇について、あそこで納得するんだったら、領民・家臣を苦しめても開戦に踏み切ったときの正当性って翻ってどうなるの? 結局は「城代の気分」で戦争したってことにならないか?と何かひっかかりを感じた)。
 あと、少し冗長な印象も受けた。上下巻合わせて400頁ほどだったが、もう少し削れるところを削って引き締めた方がテンポが出て、ダイナミックな展開になったと思う。

 ちょっと気になるところもあるにはあったが、それでも十分楽しめた。浅学にして石田三成の忍城水攻めを知らなかったので、「戦国時代にはまだまだ知らない面白い話があるんだ」と思わせてくれたのも大きい。
 さらっと読めるので、気になっている方には一読をオススメします。