2012年10月15日月曜日

[紹介] 豊田有恒『韓国が漢字を復活できない理由』

豊田有恒『韓国が漢字を復活できない理由』
日韓W杯の遙か前から一貫して韓国を批判してきた著者の最新刊。日本憎しで漢字まで廃止しちゃった韓国の実態に唖然。漢字廃止問題を理解するには高島俊男『漢字と日本人』は必読!漢字廃止しなくて本当によかった!(crossreview

 韓国の歴史・文化に造詣が深く、日韓ワールドカップの遙か前から一貫して韓国を批判してきた著者の最新刊。(念のために言っておくと、著者の本業はSF小説家)
 本書では、韓国が漢字を廃止した理由と、その結果どのようなことが起こったかを、事例をふんだんに挙げて説明している。

 実は、本書を読む際は、高島俊男『漢字と日本人』を読んでおくと理解が全然違うので、先に同書を読まれることを強くオススメする。

 明治維新の頃、日本は西洋から入ってきた学問の用語を片っ端から漢語に置き換えて翻訳していった。「社会」「恋愛」「自由」など、我々が当然のように使っている漢字の熟語は、そのほとんどが明治期に作られたものなのである。
 さて、日韓併合(元々は「日韓合邦」と言っていたのがこうなり、最近では「韓国併合」というようになっている。日本の侵略色を強めた言い換えがなされ続けている。これは余談)により、日本語の強制がなされた…のではなく、それまで諺文(オンムン)と蔑まれてきたハングルと漢字の「漢字ハングル交じり文」が推奨された。このとき、大量の日本産漢語が朝鮮半島に輸出されたわけである。ちなみに、明治期に日本で作られた漢字の熟語(術語)は、中国にも輸出されている。漢字文化圏が母語で西洋の学問を学べるのは、明治期の日本人(福沢諭吉や西周ら)のお陰である。別にそれを殊更有り難がれというつもりはないが、歴史的事実を知った上で、先人の努力にしかるべき経緯を払うことは人として大事なことだと私は思う。
 が、戦後の韓国は、漢字使用は日帝の悪しき残滓として、漢字廃止に踏み切ってしまった。日本産漢語の内、音読みしていたものはそのまま韓国語の読みを残してハングル表記に、訓読みしていたものについてはわざわざ韓国語の音読みに直してハングル表記にしたわけである。

 で、どうなったか。
 実は日本語でも漢字廃止の勢力は根強くあった(カナモジカイなど)。なお、著者はこの点、日本の状況をかなり楽天的に捉えていたが、決してそんなことはなかったのである(高島・前掲書参照)。
 だが、明治の先人は、西洋概念を漢字に置き換える際に表意文字としての機能を優先したため、大量の同音異義語が発生してしまった。例えば、「コウセイ」と言われた時に、それは文章を「構成」するのか「校正」するのか、不良少年を「更生」するのか、など。だから、熟語としての漢字を学んでいなければ言葉の意味がわからなくなってしまった。日本が漢字を廃止するのに躊躇した一つの原因はこれであろうと思われる。

 日本では新漢字と新仮名遣いという暴挙が戦後のどさくさに行われてしまったが、逆に言えばそれだけで済んだとも言える。
 が、韓国では漢字を廃止してしまったせいで、大量の同音異義語を抱えることとなってしまった。
 耳で聞いて判別できないというのは、日常生活では大変に不便である。日本では漢字の熟語の知識があれば文脈で判断できるが、韓国では漢字まで廃止してしまったので、それに頼ることもできない。
 そこで、一部の言葉は韓国語の固有語(日本で言う「やまとことば」)で言い直すこととなった。ただ、集団を「ひとのあつまり」などという言葉を作って言い直すので、どうしても冗長になる。
 が、実はこれ、すでに本居宣長がやっているのである。漢字によって日本語や日本文化・価値観が中国文化に影響を受けているとした本居宣長が「からごころ」として漢字を排し、やまとことばだけで文章をしたためたところ、読みにくい上に言いたいことが言えなくなって挫折した、という話がある(長谷川三千子『からごころ』参照)。
 これは仕方の無いことで、やまとことば段階の日本語および日本人の観念には抽象概念を表すことばがなかった。それは当時の日本人がそこまでの段階に達していなかったということであるが、近隣に文明の進んだ大国があると、それが輸入される形で補われてしまい、やまとことばで抽象概念を作る芽は絶たれてしまった。
 韓国も事情は同じで、日本から西洋学問の術語漢語が輸入されたため、同じことになった。それはもうそういうものとして諦めればいいのに、日本に対する被害者意識にくわえ、小中華思想(中国が文化の父で、中国により近い韓国が兄、日本は弟。弟の日本から兄たる韓国に何かを教授するなどあってはならない!という甚だめんどくさい思想。詳しくは古田博司さんの著作参照のこと)から、漢字を排することになったわけである。

 話を戻すと、漢語を廃止したことで、韓国語はそれまでの韓国語と断絶してしまった。それは新字・新かなを用いた日本の比ではない。日本人はまだ高校の古文の参考書を買ってくるなどして勉強すればまだ古文が読めるが、韓国人はそれ用の勉強をしない限り先人と対話することが非常に困難となったのである。
 ま、韓国では、自分達に不都合な(歴史的)事実は見ないことにしたり、歴史はより好ましいものに作り替える(!)という価値観があるそうだから(おそらく半島という地政学的な位置から歴史的に異民族の侵略を受け続けた屈辱から生まれたものであろう。ネットで散々揶揄されている「韓国発祥(コリエイト)」もその文脈で発生している現象だと個人的には思っている)、それでもいいのかもしれないが…って、やっぱだめでしょ(笑)。本書では韓国人留学生が自国の歴史書『三国史記』を知らなかったのに驚いたとあったが、さもありなん、なのかもしれない。

 長々と書いてきたが、そういうわけで本書は「もし日本が漢字仮名交じり文を廃止していたら…」を見る上で非常に参考になる(というより他山の石とすべき)話がてんこ盛りである。が、本書はメインテーマを「韓国は日本語発祥の漢字を使ってることを隠すなよ」という点に重点が置かれているため、これだけだと全体的な問題が見えてきにくい。なので、高島俊男『漢字と日本人』など日本語と漢字に関する本と一緒に読むことを強くオススメする。

(なお、著者は本書の中で、ハングルが「おんな文字」などと蔑まれて用いられてこなかったことを盛んに指摘するが、程度の差はあれ、日本でもかな文字は長らく下に見られていた事実は事実として認識しておきたい。この点、橋本治『これで古文がよくわかる』が非常に参考になる。平安時代の公文書(男文字)は日本でも漢文だった。
 ただ、日本がヘンテコで面白いなぁと思うのは、紀貫之がかな文字を使いたいあまりに日本初のネカマとなって『土佐日記』をしたためた、というところだろうw。私はこういうHentai、Cool Japanなところに愛国心をかき立てられてならないのだが…おかしいですか?)