2012年9月19日水曜日

[紹介] 清水義範『身もフタもない日本文学史』

清水義範『身もフタもない日本文学史』
第一章・短歌のやりとりはメールである、からざっくばらんに語っている。著者の博識に支えられた身もフタもなさなのだが個人的には2ch語訳の徒然草の方が衝撃的だったなぁhttp://goo.gl/CgDmCcrossreview

 第一章・短歌のやりとりはメールである、から、古典を「要するにこういうもの」と決め打ち、ざっくばらんに語っていいます。
 メールと和歌の違いって、テクノロジーで見れば、電波を介してメッセージを送信するか、家人を介して短冊を届けるかだけの違いと言っても過言ではありません。(…そうなのか、俺?w)
 授業で良く習う和歌集の特徴、「万葉集=素朴で雄大、古今集=技巧的、新古今=本歌取りの登場」というのも、要するに、万葉の奈良時代はメールを覚えたてで「はじめて、メールします。」と味も素っ気も無かったのが、古今集の平安時代に下ると色々馴れて絵文字を使ったりするようになり表現テクが増えてきて、鎌倉の新古今になると先行作品の集積が教養として成立しているのでパロディが生まれだした、ということなんじゃね? と大人になってから思いました。

 著者の博識に支えられた身もフタもなさではありますが、個人的にはそれでもやや硬いかな? と感じました。
 著者は「『枕草子』はセンス自慢」「兼好は世の中を叱る」「男は兼好に、女は清少納言になる」と指摘しているのですが、僕は、兼好は日本最古の2ちゃんねらーだと思うのです。
 以前、2ちゃんねるで2ちゃん語訳の『徒然草』というのを読んだことがあります(http://goo.gl/CgDmC)。これを読んだとき初めて兼好法師が何を言いたかったのかわかりました。この「わかった」には多分に誤解が含まれているかもしれませんが、あまりに衝撃が強すぎたので、今更訂正がききません。僕の中で、兼好は説教したがりのじいさんではなく、日本最古のVIPPERと深く印象づけられてしまいました。
 そう考えたら、ネットで他人のことを上から目線でああだこうだ品評・非難する言説が散見されるのも、鎌倉以来の「日本の伝統」ということに…さすがにならないか(笑)。

 妙な自論を持ってたせいで、一部素直に楽しめなかった部分もありますが(orz)、「紀行文学は悪口文学」「田舎の悪口を言う美意識」など、「ほう!なるほど!」と思わされる指摘があり、高校時代にこの本に出会いたかったなぁと思わされた一冊です。

 「古文は昔から苦手でどうも…」という人にこそ読んでもらいたい一冊です。