2012年9月3日月曜日

[紹介] 苫米地英人『ほんとうに頭がよくなる「速読脳」のつくり方』

苫米地英人『ほんとうに頭がよくなる「速読脳」のつくり方』
思いの外(失礼!)真っ当な速読法。一部眉をひそめるような記述も見られたが(方法論はいいんだけど、各論や具体例になると質が落ちる印象)、全体的には一読すべき内容。本の内容理解に重きを置いている点も高評価。(crossreview

 速読本ジプシーとして言わせてもらうと、8割納得、2割に首をかしげるといった感じ。著者については心酔するくらい高評価する人がいる一方で、眉をひそめて見る人もいて、評価が分かれている印象を受けます。僕はどちらかというと後者なんですが、でもこの本は同意する部分が多かったです。

 2割の方から先に触れておきます。
 冒頭22頁目に、著者がアメリカの大学院でどれだけの本を読まないといけないか、その分量が語られます。
 アメリカの大学院。私がいうのはハーバード、イエール、カーネギーメロンといった本気の大学院の話です。ここが速読を必須とする世界です。論文も含めて2000冊から3000冊の本を博士前期課程の2年間で読む必要がありますから、単純に日割計算すれば、1日30冊から50冊は読まなければこなせない量になります。
3000冊の本を2年間(=730日)で読んだとして、単純日割り計算すれば一日約4.1冊となるはずです。(こういうのは編集のミスだと思います)

 54頁では世代間の読書量を、月額書籍購入量で比較した上で、「読書量は収入に正比例する」と指摘しています。
 が、この比較だけでは図書館の利用者や、漫画喫茶の利用者、そもそもマンガも書籍に含めているのかなど前提が不明確です。ほかにも検証すべき段階を数段すっとばされていて、著者の指摘にはにわかに同意できません。

 本書の語り口は丁寧なんですが、そこここに自慢めいた話が散見され、それが不快だという読後感想もあるようです。
 この点については、「著者はロケンローラーだ」という某所で聞いた指摘を念頭に、著者のキャラだと思って読めばそれほど気になりません(笑)。水道橋博士の番組で著者を見たとき、服装とソファーに浅く腰掛け深くもたれ、両腕を大きく広げて背もたれの上部にかけていたのを見ました。本書の自慢も、著者のそういう姿を思い描きながら読めばそんなに腹も立たないと思うんだけどなぁ…

 と、悪口めいたことを言いましたが(笑)、本書で言われていることの8割は納得できることばかりです。

 本を早く読むために一番大事な要素は「知識」である…当たり前と言えば当たり前です。
 が、速読法をあれこれ試した方(特に勉強のために)が一番引っかかりを覚えるのも、この点を忘れているからでしょう。
 極端な話、速読の達人にいきなりアラビア語の本を渡しても読めません(その達人がアラビア語を読めるなら別でしょうが)。頭の中に内容理解の素地である知識がないと、いくら眼球運動や認識視野拡大によって情報のインプットを早めても、脳による情報処理が追っつかず、「早くは読めるけど、内容理解が追いつかない」という状態に陥ります(これを「読めた」と言ってしまっていいのか、疑念は残りますが…)。

 同様の指摘は日垣隆『情報の「目利き」になる!』でもなさてれいます。「読書スピードは35歳を境に加速度的に上がっていく」という趣旨の指摘でした。これは、若い頃から本を読み続け、あるいは色々な経験と知識を蓄えてきたことを素地として、理解力が雪だるま式(二次曲線)で上がっていく、という意味で理解するな非常に納得できるものです。

 なお、既存の速読本の名誉のために付言しておくと、ちゃんとした速読本であれば、この辺のことは説明されています。(そういう意味では、ちゃんとした速読法かを選ぶ際のメルクマールとして「理解力についての言及」をチェックしてみるというのも良いかもしれません)

 そして、実は本書の速読メソッドは、既存の速読本のメソッドと共通したものや、そのお手軽版だったりするものが多かったりします。だから、本書と既存の速読本とは排斥し合う関係ではなく、既存の速読法を理解の面から裏打ちしてくれるもの、と読んだ方が良いように思っています。

 ただ、一つだけ速読本と違うのは、ハイスピードツイート・リーディングです。これは速くつぶやくように音読し、脳の回転速度を上げるというメソッドです。
 一方、既存の速読本に見られるのは、音読と視読の切り分けです。声には出さないが、意識で音読しているのをやめる練習が既存の速読法ではよく見られます。
 確かに、音読より視読の方が読書スピードは圧倒的に速くなります。が、特に未知の内容ばかりの本だと、視読では「頭がうわっ滑ってしまう」感覚があります。一昔前から音読が再評価されていますが、個人的にも、音読は脳の「読み飛ばし」を防ぎ、視覚だけでなく聴覚や発声に関する脳の部位も同時に刺激するという点で、新規内容の学習には向いているんじゃないかと思う所です。
 ということで、私としては、「新規分野の情報獲得・学習」といった面では音読を重視し、基礎知識が増えていけばだんだん視読に移行するのが一番効果的なのではないか、と考えています。

 最後の章は、読書の「先」のような話で、人によっては大風呂敷を広げているだけのように感じるかもしれません。が、ある技術を習得したり、受験に合格しようとするときは、その先を意識しておいた方が習得・受験期間中のモチベーション維持にも良く、また大局的に物事を見られるので、「先」の話をすること自体は否定すべきではないように思います。(著者の提示した読書の「先」が疑問なら、自分で別の「先」を描けばいいだけですし)

 思いの外真っ当(というのは失礼ですね(^^;))だったので、速読に興味のある方(や、速読本を読みあさっているご同輩)へ一読をオススメします。