2011年6月20日月曜日

わからない違いにこだわる男の悩み

古典を読むときにいつも躊躇してしまうのが「訳」の問題です。

こういうことを言うと古文や英語の読める人から「原典に当たれ。頑張って原典を読めるようになりなさい」というムチャな返しが飛んできたりもします。
が、こっちは読書が大好きなだけの素人です。原典で読みこなすために各種語学力をつける暇も熱意もありません。そのための翻訳だろうが! と逆ギレすらしてしまいそうになります。

いっそずぶの素人らしく、目に付いたものを取りあえず手にとって読んでいく、というのもアリだとは思います。
しかし、例えば岩波文庫の翻訳物を見ると、古いものはまず字が小さく、写植も潰れ気味、その上とくに昔の翻訳はツッコミを恐れて原典を逐語訳し、極めて小難しくて読みにくいものに仕上がっています。うっかりそんなのを読んだらその本の面白さを知らぬまま嫌いになりそうです。
実際、今よりも遙かにインテリ志向の強かった10代後半などは、やたら格調高さや文語調にこだわってまして、それで痛い目も見ています。
大学に入った頃、伯父に岩波文庫の新渡戸稲造・矢内原忠雄訳『武士道』をもらいました。


言い回しが固くて拡張高め、平たく言えば「いかにも賢そう」なわけです。で、読んでみたのですが、文章が固くて思ったようにすいすい読み進められない上に字が小さい。途中で挫折したのは言うまでもありません。しかし、なんか悔しかったので、後にわざわざ三笠知的生き方文庫の訳を買い、「俗っぽい所」(失礼!)から入り直しました。


このとき、文語調だの格調の高さだのばかり求めてもいかんなぁ、とつくづく思ったものです。
(その後、矢内原忠雄訳版も読んだわけですが、流石に予習の効果があってか、スイスイ読めました。でも、二度手間な気もしますよね)

そういう意味では最近「古典復権!」のキャッチコピーで始まった光文社の古典新訳は個人的には大歓迎です。JSミルの『自由論』なども出てますので、岩波よりも文章・字体共に読みやすそうで、いずれ買うつもりです(追記:必要に迫られて買いました)。


が、わかりやすいにも落とし穴が。
ラジオで、光文社文庫のドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』には誤訳が多いという話を側聞しました。わかりやすさは何かを犠牲にして成立している、と思っている僕はこの一言でまた悩むわけです。


更に、選択肢が増えるということは必ずしも良いことばかりとは限りません。
信頼できる人が訳をしているときはジャケ買いのノリで買えるのでまだいいです。マキャヴェッリの『君主論』は佐々木毅が訳したというだけで講談社学術文庫版を買いましたし、最近角川文庫から出た『福翁自伝』は文章自体が変わってませんから、字が小さくて敬遠していた岩波文庫版との比較で悩むことなく即買いできました。

 

また、『源氏物語』は谷崎訳一択でした。原文を壊さないように最大限配慮されて現代語化されているというところに、ヘタレ文系としてはこれ以上ない「お得感」を見いだしたのです(笑)。


しかし、そんな好環境はそうそうある話ではなく、たいていはわかりやすさ(とっつきやすさ)をとるか、それとも正確さをとるかの板挟みです。
好きな本なら色々読み比べもしましょう。しかし、興味と教養・楽しみのためにそこまでエネルギーを使う気はなかなか湧かないし、かといって酷い訳は掴まされたくない…こうなるとジレンマで手が出なくなります。

昔、聖書を読んでみようと思いました。
しかし、聖書にはいっぱい訳があります。「口語訳」「新共同訳」「新改訳」「文語訳」、最後のはカッコつけるにはいいでしょうが挫折間違いなしなのでパスするとしても…と悩むうちに、藤原カムイの『創世記』でお茶を濁しました。


ニーチェを読もうと思ったこともあります。
一番有名なのは『ツァラトゥストラ』ですが、これなんかタイトル自体が各社で違う有様です。『ツァラトゥストラ』『ツァラトゥストラはかく語りき』『ツァラトゥストラはこう言った』、勿論タイトルだけでなく訳も違います。値段も違うし、一体どれを読めと? これも読まずに今に至ります。

  

以前、知人がが『江戸の閨房術』という本を読んでたのに触発され、「こちとらインド文学じゃい!」とばかりにインドの性典『カーマスートラ』の購入を決意。しかし、これも角川ソフィア文庫の『バートン版 カーマスートラ』の他に、平凡社の東洋文庫から『全訳 カーマスートラ』が…。値段が5倍ほど違ったので今回はコストパフォーマンスを優先して角川ソフィア文庫版にしましたが、訳が複数ある本に関しては大抵この手の悩みを抱えるわけです。

   

『葉隠』を読もうと思ったときも悩みました。
『葉隠』も色々あるんで、原文に忠実な岩波文庫で行くか、それとも絶版になったニュートンプレスの全訳版にするか、それとも他に良い訳があるのか…と以前相談したときは、知人から英語との対訳になっている『葉隠』を紹介されました。古文の意味がすらっとわかりにくいところだけ英文を参照すると、逆に身も蓋もないくらいストレートに書いてあってわかりやすかったりしました。
ニュートンプレス版の全訳とバイリンガル版、そして隆慶一郎の『死ぬことと見つけたり』、あと三島由紀夫の『葉隠入門』でとりあえず葉隠はいいかな、と思いました。

    

当然、僕だって馬鹿じゃないですからGoogle先生にお伺いを立て、どの訳がいいかを調べました。しかし、聖書は信仰面も関係してくるので仕方ないにせよ、その道の研究者が各訳本についてコメントしているようなサイトなどまず出会えません。
大学の文学部の教授は税金から補助を受けて文学を研究してるんですから、それを還元する意味でも、一般人が訳本を読もうとした際にどれがオススメかくらいの情報を出したってバチは当たらないと思います。っつーか、そういうことのために税金を使ってでも手厚く補助してるんだとすら思います。


…で、相談です。
読み比べた訳について「これは難しい言葉をちりばめてるから初心者向けじゃない」「これは初心者にオススメ」「これは簡単に書いてあるようだけど間違いが多くて、逆に薦められない」などをお聞かせいただければと思います。